紋切型の定型フレーズは、ほぼ無意味だった 「全米が泣いた」って、誰が泣いたの?
渾身禁止令以来、数年は、Aの出版社の帯から「渾身」が消えた。確かに、21世紀初頭の10年ほどは特に、「渾身」が書籍周りには多すぎたように思う。ここでは「渾身病」と名付けておくが(というか、私の周囲ではそう呼んでいるが)、この病は、病巣ははっきりしないが少しでも気を抜くと症状が出てくる、なかなか治らないやっかいな病だ。本人が心底信じている場合も、もちろんある。
ところが、数年前のこと、Aの出版社のとある小説の単行本の帯に再びおなじみの二文字を発見。担当者は若手だったので、渾身禁止令を知らなかったのではないかと、状況を聞いた私は想像している。時代とともに、感性とともに、紋切型は変わりうる。
もっと考えて言葉を発しよう
話がそれているが、念のため、この本では、紋切型の言葉を一切使うなとは書いていない。人を傷つけかねないことを、定型句に乗せて安易になにも考えずに伝える事にもの申す、という姿勢だからだと思う。
つまり、考えてもっと言葉を選べ、言葉はこんなにあるんだぜ、と強調しているように私は読んだ。どんな状況であっても、問題は言葉そのものではなく、使う人にあるはずだしね。この本のおもしろさは、紋切型の言葉そのものよりも、背景を語るまでの途上にある。
ちなみに本書の帯文もチェックしておく。
いろいろと書いてあるが、紋切型を避けようとしたのか、面白いことになっているのが重松清さんの言葉だろう。
“柔軟剤なしのタオルと同じ。読むとヒリヒリ痛くて、クセになる”
読んでから目にすると納得の推薦の言葉だが、全米が泣きそう。私は「ヒリヒリ」の一言で書店でレジに持って行ったが、皆さんはどうだろう。
紋切型になるかは受け手の問題もありうる。それぞれの症状とその背景には、腑に落ちるものもあればそうでもないものもあるかもしれない。でもだがしかし、筆致の快刀乱麻ぶりがあっぱれで、読んでいてやめられなくなった。
あえて言おう。新進気鋭の書き手の、待望の一冊だ。もう続けざるをえない。著者渾身の力作だ。一読をお勧めする。
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