紋切型の定型フレーズは、ほぼ無意味だった 「全米が泣いた」って、誰が泣いたの?
数ある中で、私がありがとう、ビシッと言ってくれて、とお礼を言いたくなった例をひとつふたつ挙げてみたいと思う。
“「全米が泣いた」<絶賛>の言語学”
これは著者の武田さんが、長年出版社で編集者を務めていた時代の体験談がベースになっている。事の発端は、書籍の帯に入れる文章だ。この帯文は担当編集者が書くもので、同業の私もよく書いている。武田さんは「待望の文庫化」と文庫の帯文に書いて、上司に「これは、誰が待望しているの?」とカウンターをくらったようだ。文庫に限らず単行本や雑誌のコピーなどなど、ほかにも落とし穴は業界に山ほどある。「新進気鋭」の例も文中には挙がっているが、そのシンボリックな紋切型ワードが「全米が泣いた」なのだ。
「渾身」、「珠玉」……、思い当たる節が続々と
この辺りまで私は笑いながら読んでいた。だが、章の終盤になって他人事でなくなってきた。
「渾身」である。10年も書籍単行本の編集者をやっていると、いろいろなことが起こる。7年ほど前のことだっただろうか、同業他社ながら同じ書籍編集者同士、数人で飲んでいたときのこと。こんな会話があったのだ。
『紋切型社会』の文中に紹介されている、北尾トロさんが鼎談で吐露したという次の言葉も、Aの会社の営業部員と同じ気持ちからだろう。
“帯の文に、『渾身の』を安易に付けとく、みたいな風潮がさ。オレは『渾身』慣れしてるから、あ、また『渾身』だ!って目に付く(『季刊レポ』17号からの引用)”
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