福永祐一、30歳を過ぎて「ゼロから学んだ」背景 執着のなさこそ、自分の最大の強みだった
それまでも、トレーニングにしろ何にしろ自分に合った方法を模索し、良いと言われるものは積極的に試してきた。それらが無駄だったとはまったく思わないが、藤原厩舎での日々を経て、やはりこうして人の手を借りることの重要性を痛感せざるを得なかった。
自分の力だけでは伸びしろは増やせない。ここからさらなる技術向上を目指すのであれば、コーチのような存在が必要なのでは──そんなことを考え始めた。
もちろん、このまま藤原厩舎で研鑽を積むのも一つの道ではあったが、別の厩舎の管理馬に乗ることもある以上、調教師と騎手、厩舎スタッフと騎手は利害関係にある。
理想はやはり、利害が完全に一致した人と上を目指すこと。つまり、自分専属のコーチがいる環境がベストだと考えた。
マイナーチェンジではトップを獲ることは不可能
そこに思い至ったのは、藤原厩舎で学び、自分の変化を感じられたからこそだ。あのときに「ウチの厩舎を手伝わないか?」と声をかけてくれた和男さんには、今でも心から感謝しているし、人と人との縁というものには、人生を動かす力があることを改めて感じる。
コーチが必要となったところで、さて誰にお願いしようか──。そもそも騎手の世界には、ほかの多くの競技に存在する監督やコーチといった人がいないのだ。おかしなことに、そういった概念すらなかった。
その点に関しては、競馬界が変化する兆しは現時点でも見られないが、自分は「誰もやったことがない」という事実に不安よりも可能性を感じるタイプ。コーチをつけることにしても迷いは一切なかったが、前例がない以上、適任者を見つけるのは非常に難しかった。
最初に頭に浮かんだのは、日本を代表するトップジョッキーだった岡部(幸雄)さん。すでに引退されていたから、利害が反することにもなり得ない。異論を挟む余地のない名手であり、父親と同期であることにも縁を感じた。
しかし一方で迷いもあった。迷いの源は、岡部さんが元ジョッキーであること。そのときの自分は「劇的な変化」を求めていた。なぜなら、マイナーチェンジをしたくらいでは、トップを獲ることはできないと思ったからだ。
岡部さんに教えてもらえれば、確実にステップアップできるという確証があった一方で、劇的な化学変化を生むにはまったく違う業種の、それこそ目から鱗の発想が必要なのではないか、という漠然とした思いもあった。
せっかく挑戦するなら、目指すのはフルモデルチェンジ──。どうしてもその思いが消えなかった。
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