福永祐一、30歳を過ぎて「ゼロから学んだ」背景 執着のなさこそ、自分の最大の強みだった

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GⅠをいくつも勝ち、年間100勝も達成した30過ぎのジョッキーが、調教師から「鐙を上げろ!」と指示を出され、鐙上げを毎朝やらされている。おそらく、そんな光景は前代未聞であったし、実際「なんで新人がやるようなことを今さらやってるの?」と、嘲笑の対象になっていることもわかっていた。

笑われて傷つくようなプライドは持っていない

それでも自分は藤原調教師の指示のもと、来る日も来る日も鐙を外した状態で馬に乗り続けた。外野の声などどうでもいい。笑いたければ笑えばいい、バカにしたければすればいいと思った。

そもそも、頑張っている人を笑うような人は好きではない。むしろ、嘲笑する人を見て、自分はまだまだ安泰だなと思っていた。なぜなら、必死に頑張っている人を見て笑えるということは、その人が頑張っていない証だから。頑張っている人の気持ちが少しでもわかる人は、嘲笑などするはずがないのだ。

デビュー当時からバカにされていた強みなのかもしれないが、自分にはこういうときに頭をもたげてくるプライドがない。何か目的があって頑張っているときに、それを周りから揶揄されたとしても、言いたい人には言わせておけばいいと受け流すことができる。

笑われたことを気に病んで傷ついてしまうようなプライドなら、それはプライドとは言わないと自分は思う。

プライドとは、仕事にしろ何にしろ、積み重ねた先に生まれるものだと感じている。自分が生きていく中で「これだけは譲れない」という思いがあり、それを貫いてプライドに昇華したものなら守るべきものだと思うが、何も積み重ねていない段階で「そんなことをしたらカッコ悪いから」といった判断をするとして、そこにプライドという言葉を使うことには違和感がある。

たとえば、若手のジョッキーが何らかの理由で乗り替わりになったとする。その後、もう一度その馬の騎乗依頼が来たとき、「以前の乗り替わりでプライドが傷ついたから」という理由で断るケースを見てきたが、「それは違うだろう」と自分は若い頃からずっと思っていた。

だから、30歳を過ぎて鐙上げしている姿を笑われても平気だったのは、そもそもそこで傷つくようなプライドを持っていなかったから。ものすごくシンプルなことだ。

バカにされるのに慣れていたという耐性もあったが、今まさに騎乗技術を身につけようという過程にあり、まだ何も積み上げていなかったからこそ、傷つきたくても傷つきようがなかった。

和男さんの一言で藤原英昭厩舎の門戸を叩き、馬乗りの基礎から学び直した結果、レースの中で自分の変化をつぶさに実感できるまでになった。

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