福永祐一、30歳を過ぎて「ゼロから学んだ」背景 執着のなさこそ、自分の最大の強みだった

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思えば、競馬に興味がないのにジョッキーを目指すことを決めたときも、別の選択をした自分がパッとしない人生を送っている未来がはっきりと見えた。それはある意味で直感に近いものだったが、実際にジョッキーとなり、自分の限界を思い知った末の未来予想図は、より現実味を伴っていた。

そもそも自分には〝執着〟というものがほとんどない。何に対しても、固執するのが嫌なのだ。「なぜ?」と聞かれても答えに困るが、子供の頃からそうだった。そういう性質、性格なのだろう。

執着のなさこそ自分の最大の強み

たとえば何かを失うことになっても、そのぶん違う何かが得られるかもしれない、まったく新しい何かが拓けたりするかもしれないという考えになる。新しいことにチャレンジしたとして、もしそれが自分に合わないと思ったらやめればいい。それこそ、人生の選択は、自分次第で無限にあると思うから。

こういう性格を前向きと言っていいのかどうかはわからないが、執着がないぶん、何につけても切り替えは早い。

たとえば、落馬でケガをしたときも、「どうして、こんなときにケガしてしまったんだ……」と思い悩む時間は圧倒的に少なく、主治医にすぐ「いつからハワイに行っていいですか?」と聞いてしまい、「めちゃくちゃ切り替えが早いですね」と苦笑いされたこともある。

ありがたくない出来事が起きたとして、そこから学ぶことはあっても、立ち止まってウジウジと後悔したりはしない。決断したことに対してもそう。一度決めたら進むしかないし、ダメだったらやめればいい。それだけのことだ。

「ゼロになる」という決断ができたのも、センスのなさを自分で理解していたことに加え、それまでのキャリアに執着がなかったからという理由が大きい。この執着のなさこそ、自分という人間の最大の強みだと思っている。

執着があると、言えないことがあったり、できないことがあったりしてストレスにもなるだろうが、自分にはそれがない。

この決断をした時点で30歳を過ぎていたし、すでに中堅といわれる立場だったが、もう一度学び直すことに対して、恥ずかしさも怖さもなかった。学び直したところでやっぱりダメだとなったら、またそのときに考えればいいと思った。

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