福永祐一、30歳を過ぎて「ゼロから学んだ」背景 執着のなさこそ、自分の最大の強みだった

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馬乗りの技術を学び直すきっかけを与えてくれたのは、藤原英昭調教師の弟である和男さん。

もともと北橋厩舎に所属していた調教助手で、自分が全32戦で手綱を取ったエイシンプレストン(クイーンエリザベスⅡ世カップ2連覇や香港マイルを含むGⅠ4勝)などを担当しており、デビューした頃から何かと自分の面倒を見てくれていたお兄ちゃんのような人だった。

北橋厩舎の解散後は、兄がボスを務める藤原英昭厩舎に移ったのだが、それ以降も何かと自分のことを気にかけてくれていた。

確か2007年の終わり頃だったと思うが、瀬戸口厩舎が解散し、日々の調教拠点を失った自分を心配してくれた和男さんが、「ウチの厩舎(藤原英昭厩舎)を手伝わないか?」と声をかけてくれた。

30代のGⅠジョッキーが「鐙上げ」から再スタート

藤原厩舎のスタッフといえば、競馬サークルでは有名な「馬術集団」。和男さんもインターハイで優勝経験があり、国体にも出場したライダーで、そんな和男さんをはじめ、馬術の国体選手が何人もいるような厩舎だった。

そんな厩舎の調教を手伝えることは、馬乗りの技術をイチから学びたい自分にとって、これ以上ない環境。和男さんからのありがたい誘いに二つ返事で飛びついた。

さっそく藤原調教師の元に出向き、正直にこうお願いした。

「自分には馬術的な技術がまったくないので、イチから教えてください」
藤原調教師は厳しくも懐の大きな人で、そんな自分に「おう!」と一言。快く受け入れてくれた。藤原調教師はもともと星川薫厩舎で調教助手をしており、和男さんのお兄さんということもあって、その頃から何度も会話を交わす機会があった。

そんな藤原調教師と一緒に、自分が現役時代にダービー(2021年・シャフリヤール)を勝てたことは、最高にうれしかった。

自分が調教師試験に合格してからも、藤原厩舎を調教の拠点とさせてもらっているほか、一緒に牧場やセリに行きがてら、調教師として必要な知識を藤原調教師から学ばせてもらっている。ダービー馬のワグネリアンを手がけた友道康夫調教師と並び、自分が尊敬してやまないホースマンの一人だ。

藤原厩舎での修業の日々は、まずは「鐙上げ」から始まった。鐙上げとは、騎座(馬に騎乗した際の騎手の脚部。鞍に接している座骨、臀部、太もも、膝など人間と馬の接点)を安定させるために一番効果的なトレーニングで、要は鐙(騎乗時に足を乗せる馬具)に足を通さずに馬に乗ることをいう。

競馬学校で学ぶ基礎中の基礎だが、鐙上げからやらされたということは、すでにデビューして10年以上経っていたのに、自分はそれすらしっかりできていなかったということ。まさにゼロからのスタートだった。

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