「高校の頃とかも、ずっと成功体験がなくて。アパレル店員になりたいとか声優になりたいとか、ちゃんと夢として持っていなかったと思うんですよ。持っていたら辞めずに続けられたと思うし。アイドル始めた頃も同じライブハウスで同じ曲を同じお客さんの前で歌っていて。それでも毎日歌えることは楽しかったので。それまでは大きな目標とかなかったですね。悔しい思いをするまでは……」
振り返ってみると、デビュー間もない頃はネガティブなアイドル。そしてファンからの一言で、徐々にネガティブからの脱却を図り、振り切った形となる。
全身タイツで踊り、フロアに降りて客を煽り、ぬいぐるみを振り回す。ある意味「イロモノ」的なアイドルだった。まだ、なんの目標もない楽しいだけのアイドル。
そんなヤギヌマを変えたのはコロナ禍とフランスでの大きなイベントの出演権をかけた賞レースだった。アイドルの賞レースとは「大きなイベント」への出演権をかけ、来場客の投票や、お目当ての集客人数などがポイントになり競うものである。
アイドル活動で初めて味わった「悔しい」思い
「勝てばフランスに行けるっていうイベントでふざけながらも1点差で決勝を逃して悔しい思いをしたんです。その後に大きな会場での対バンに出るチャンスがあったんですが、配信の関係でカバー曲を歌えなくて、ぬいぐるみを使った小芝居をしてなんとかつないだんですが、めちゃくちゃすべって。これもすごく悔しかったですね」
その出来事からヤギヌマの意識が変わった。
カバー曲メインだったがオリジナル曲やオリジナルの衣装の重要性を認識した。適当だった振り付けの大切さも知った。ようやくアイドルとして本当のスタート地点に立った気分だった。
そして追い打ちをかけるようにやってきたコロナ禍。
当時、自分を覚えてもらうために例えば全身タイツを着てフロアに降りて客を巻き込み盛り上げるなどしていたが、そのやり方も当然できなくなり、純粋にステージでの歌とダンスを充実させなければならなくなった。
「性格的にも(アイドルの)王道は無理で。そこからネタ的なものになったんですが、コロナ禍でできなくなって、その時に4カ月半ぐらいライブを一度休んで準備期間に充てました。どうすればいいか考えましたね」
それまでの自らの武器を封印されたヤギヌマは一度立ち止まり、オリジナル曲、そしてオリジナルの衣装を準備して戻ってきた。そして試行錯誤しながら、今の曲とダンスを魅せる形へと進化していった。
中途半端だった人生が、ファンとのやり取りで超ポジティブなものに変わった。コロナ禍でアイドルとしての魅せ方も変わった。
これまで続けてこられたのは、あの日見たファンの悲しそうな顔。そしてステージで味わった悔しさ。「変わらなければ前に進めない」という現実だった。
そして今、ヤギヌマには大きな目標がある。
「あの日、悔しい思いをしたステージでワンマンライブを絶対にやります! それまでは辞められません!」
ソロアイドル・ヤギヌマメイ。彼女のアイドル人生はまだまだこれからに違いない。
*この記事のつづき:「大会場でライブしたい」地下アイドルの大胆秘策
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