「カワイイって言えよ!」地下アイドル、変えた一言 "諦めグセ"も変えた?「ヤギヌマメイ」誕生秘話

✎ 1〜 ✎ 32 ✎ 33 ✎ 34 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

高校の頃とかも、ずっと成功体験がなくて。アパレル店員になりたいとか声優になりたいとか、ちゃんと夢として持っていなかったと思うんですよ。持っていたら辞めずに続けられたと思うし。アイドル始めた頃も同じライブハウスで同じ曲を同じお客さんの前で歌っていて。それでも毎日歌えることは楽しかったので。それまでは大きな目標とかなかったですね。悔しい思いをするまでは……」

振り返ってみると、デビュー間もない頃はネガティブなアイドル。そしてファンからの一言で、徐々にネガティブからの脱却を図り、振り切った形となる。

全身タイツで踊り、フロアに降りて客を煽り、ぬいぐるみを振り回す。ある意味「イロモノ」的なアイドルだった。まだ、なんの目標もない楽しいだけのアイドル。

そんなヤギヌマを変えたのはコロナ禍とフランスでの大きなイベントの出演権をかけた賞レースだった。アイドルの賞レースとは「大きなイベント」への出演権をかけ、来場客の投票や、お目当ての集客人数などがポイントになり競うものである。

楽しい曲だけでなくしっとりとした曲も歌い上げる(撮影:松原大輔)

アイドル活動で初めて味わった「悔しい」思い

勝てばフランスに行けるっていうイベントでふざけながらも1点差で決勝を逃して悔しい思いをしたんです。その後に大きな会場での対バンに出るチャンスがあったんですが、配信の関係でカバー曲を歌えなくて、ぬいぐるみを使った小芝居をしてなんとかつないだんですが、めちゃくちゃすべって。これもすごく悔しかったですね」

その出来事からヤギヌマの意識が変わった。

カバー曲メインだったがオリジナル曲やオリジナルの衣装の重要性を認識した。適当だった振り付けの大切さも知った。ようやくアイドルとして本当のスタート地点に立った気分だった。

そして追い打ちをかけるようにやってきたコロナ禍。

当時、自分を覚えてもらうために例えば全身タイツを着てフロアに降りて客を巻き込み盛り上げるなどしていたが、そのやり方も当然できなくなり、純粋にステージでの歌とダンスを充実させなければならなくなった。

「性格的にも(アイドルの)王道は無理で。そこからネタ的なものになったんですが、コロナ禍でできなくなって、その時に4カ月半ぐらいライブを一度休んで準備期間に充てました。どうすればいいか考えましたね」

それまでの自らの武器を封印されたヤギヌマは一度立ち止まり、オリジナル曲、そしてオリジナルの衣装を準備して戻ってきた。そして試行錯誤しながら、今の曲とダンスを魅せる形へと進化していった。

中途半端だった人生が、ファンとのやり取りで超ポジティブなものに変わったコロナ禍でアイドルとしての魅せ方も変わった

これまで続けてこられたのは、あの日見たファンの悲しそうな顔。そしてステージで味わった悔しさ。「変わらなければ前に進めない」という現実だった。

そして今、ヤギヌマには大きな目標がある。

「あの日、悔しい思いをしたステージでワンマンライブを絶対にやります! それまでは辞められません!」

ソロアイドル・ヤギヌマメイ。彼女のアイドル人生はまだまだこれからに違いない。

*この記事のつづき:「大会場でライブしたい」地下アイドルの大胆秘策

松原 大輔 編集者・ライター

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

まつばら・だいすけ / Daisuke Matsubara

富山県出身。編集者・ライター・YouTubeプロデューサー。中央大学法学部卒。在学中より故・永谷修氏に師事。大学卒業後、講談社生活文化局にて編集見習いとなる。その後、文藝春秋『Sports Graphic Number』編集部などで編集者・記者を経て、2018年に独立。書籍の企画、編集や執筆活動、YouTubeの動画制作・プロデュース、アーティストマネジメントなどを行っている。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事