走る産業文化財、「動態保存」蒸気機関車の軌跡 国鉄時代の「やまぐち号」から東武「大樹」まで
山口線が選ばれたのは、山陽新幹線の小郡駅(現・新山口)からアクセスできること、沿線の津和野などの観光活性化につながるといった理由からだ。C57形1号機は、かつて羽越線や磐越西線を走ったC57形のトップナンバーで、現役時代から人気のあるSLだった。筆者も当時その姿を撮影している。
その後、1987年に国鉄の分割民営化によりJR各社が発足すると、JR四国以外の旅客各社はこぞってSLを動態復元し、イベント列車などとして運転を開始した。各社ごとに見ていこう。
「山線」のC62、オリエント急行を牽いたD51
JR北海道の路線上で初のSL復活運転は、C62形3号機による「C62ニセコ号」で、1988年4月から函館本線の通称「山線」、小樽―倶知安間で運転を開始した。これは民間団体が寄付などによって動態復元を果たし運行していたもので、C62形が現役時代に急行「ニセコ」を牽引して活躍した路線を走ることもあり人気を博したが、1995年11月3日をもって運行を取りやめた。
JR北海道独自の本格的SL復活は、1999年に放送されたNHK連続テレビ小説「すずらん」がきっかけだった。これは北海道の鉄道員一家の物語で、筆者がロケ地を留萌本線恵比島駅に設定し、架空の「明日萌駅」として撮影が行われた。
当時、JR北海道はこの地で走らせるSLは所有していなかったため、真岡鉄道のC12形を借りてロケを行った。「すずらん」の視聴率は好調でロケ地を訪れる観光客も多く、その人気にあやかりJR北海道は標茶町の児童公園で静態保存されていたC11形171号機を動態復元し、留萌線の観光列車「SLすずらん号」として1999年5月から運転を開始した。
翌2000年1月からは、釧網本線の釧路―標茶間で「SL冬の湿原号」の運転も始まった。同年には現役時代に日高線で活躍した特徴ある「二つ目」のC11形207号機も動態復元されて交互に運行されるようになり、重連運転も行われた。現在、JR北海道のSL列車は「SL冬の湿原号」のみとなり、C11形207号機は東武鉄道に貸し出され「SL大樹」で運用されている。
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