中央線東小金井駅、地味だが「日本初」の誕生秘話 地元が費用を全額負担して開設した「請願駅」
当時、中央本線の三鷹―立川間の駅は、武蔵境、武蔵小金井、国分寺、国立の4駅で、すべて第2次世界大戦前に誕生していた。しかし戦後、首都圏への人口流入が加速し、郊外に住む人が増えていくなかで、各地で駅を望む声が出てきた。
小金井市東部もその1つだった。武蔵境―武蔵小金井間の駅間距離は3.4kmで、上記区間ではもっとも長く、三鷹―武蔵境間の約2倍あった。
費用をすべて地元住民が負担
そこで、この地域の地主だった宮崎金吉氏を中心に、住民による新駅設置請願運動が展開され、用地の買収費や駅舎の建築費はすべて地元住民が負担することで、武蔵境と武蔵小金井のちょうど中間地点に、東小金井駅が誕生したのだ。
ちなみに三鷹―立川間で2番目に駅間距離が長かった国分寺―国立間にはその後、武蔵野線の開通とともに、乗換駅として西国分寺駅が生まれている。
東小金井駅周辺には、駅の開設を記念した建物がある。南口を出て東に5分ほど歩いた場所にある、東小金井駅開設記念会館「マロンホール」だ。
駅の請願に関わった住民が、その歴史を後世に伝えようと建設した民間施設で、その後市に移管されることになったときに、マロンホールの愛称を加えるとともにリニューアルオープンした。
愛称にあるマロンは、この地域の昔の地名である栗山に因んだもので、近隣の公園や建物の名前にも栗山が残っている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら