中央線東小金井駅、地味だが「日本初」の誕生秘話 地元が費用を全額負担して開設した「請願駅」

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その後ク5000は、トヨタ自動車をはじめ、国内のほとんどの自動車メーカーの完成車を輸送するようになり、最盛期には専用特急列車の「アロー号」が運転されるまでになっていた。

しかし、頻発する国鉄のストライキや高速道路の整備によって、完成車の輸送は道路が主力となっていく。こうした流れを受けて、東小金井の貨物駅も1980年代に廃止された。

さらに村山工場も、その後日産自動車がフランスのルノーとアライアンスを組み、リバイバルプランを実行する中で閉鎖となった。

進化する東小金井駅

東小金井駅は周辺の踏切で混雑が問題になったことから、20世紀末に高架化の工事が始まり、2009年に完成した。地上駅時代は対向式2面2線だったホームは、2面3線となり、特急や特別快速の待避を行うことができるようになった。

高架下の駅周辺にはJR東日本のグループ企業、JR中央線コミュニティデザインが運営する商業施設「nonowa(ノノワ)」がオープンした。武蔵野の地に人の輪・環境の環・心の和が生まれることを願ったネーミングで、武蔵境、武蔵小金井、西国分寺、国立駅にも展開している。

東小金井駅高架下のnnowa
高架下の「nnowa」(筆者撮影)
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