間寛平さんは吉本新喜劇の座長でありスターだった。
そもそも吉本新喜劇というものは、昔は10日ごとに、今は1週間ごとに新作をつくって、たった一晩の稽古で翌日から舞台にかける。吉本の人間は当然だと思ってしまっているが、これがどれだけすごいことなのか、芝居をやっている人はよくわかると思う。
その新喜劇の座長に寛平さんは実に24歳の時になった。
新喜劇の座長なのに芝居ができず悩む
座長は十数人の一座を率いて1時間弱の芝居をつくらなければならない。おかしなギャグと変な動きで人気が出て、座長に抜擢されたが、肝腎の芝居ができない。
同時期に座長になった木村進さんは芝居はうまいし、動きもきれいで踊りもできる。大衆演劇の一座で育った木村さんは芝居のストーリーをつくることもお手のものだった。
それに対して寛平さんは何もできなかった。中心になって芝居を引っ張っていくことができず、子ども向けのギャグでお茶を濁すしかない。
一座員であればそれでも十分だが、座長になったからには、一座の中心となって芝居を回していかないといけない。作家と一緒に芝居の筋を考え、芝居をつくっていかないとならないのだがそれができない。一時は相当悩んだそうだ。悩んだけれども人気はあったので、なんとかごまかしてやっていた。
そのうち次第に芝居もできるようになり、ちょうど池乃めだかさんが漫才から新喜劇に入ってきて寛平さんとコンビを組むようになってその悩みは一挙に解決した。めだかさんはしっかり芝居ができたので、うまく寛平さんをフォローし、抜群のコンビになった。寛平さんは押しも押されもせぬ座長となった。
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