アンガールズ田中「4年目でブレイクした僕の地獄」 「ジャンガジャンガ」に追われる僕を救った一言

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頭にネタがちゃんと入っていないから、セリフもカミカミ、カミカミだけならまだしも、本番中なのにセリフが飛んだ。お客さんも、何が起こってるの? という空気になりざわつき出す。

これはまずいとディレクターさんが判断して、収録中なのに急遽幕を閉めてもらった。

舞台裏でセリフをもう一度チェックして、やり直しをさせてもらったけれど、それでもまたセリフが飛んで、グズグズのままネタが終了。

お客さんが帰った後に残り、撮り直しをさせてもらった。

落ち込んでいる暇もなく、そのまま他のテレビ局の収録に行って、トークで全く活躍できないまま一日が終わる。

実力がないままブレイクする怖さ

なんとか実力を誤魔化せていたネタでさえもクオリティが出せなくなって、どうしていいかわからなくなった。

ただ、実力がないままブレイクするというのは怖いもので、滑っても仕事はまた来る。その仕事でまた滑る。

出口の見えない状態が1ヶ月くらい続いて、何もかもが楽しく感じられなくなった。

そんな時に、マネージャーさんから「今度、雑誌で対談する仕事がはいってるんだけど、相手を選べるみたいで、希望ある?」と聞かれた。

先輩芸人さんとか、俳優さんとか、ミュージシャンとか考えたけれど、今そういう人たちに会っても楽しく喋れる自信がなく、ふと思いついたのが、蛭子能収さんだった。

僕は蛭子さんの漫画が好きで、当時はバラエティを観ていても芸人さんを見たら仕事のことを思い出して心から笑えなかったけれど、蛭子さんのことは漫画家として見られるので、素直に笑えていた。

ただ、路線バスの旅で大人気になる前の蛭子さんなので、対談したいと言ったら、「え? なんで?」とマネージャーさんに不審がられた。まあ、そうだろう。

ありがたいことに蛭子さんからもオッケーが出て、無事に対談は実現した。渋谷にあるルノアールの貸会議室で待っていると、しばらくして蛭子さんが到着した。 

僕は直に会うのが初めてだったしファンなので、緊張しながら、

「すみません、田中です。今回、対談を受けてくださってありがとうございます」

と言うと、蛭子さんは、

「へへへ、まぁ僕はギャラがもらえれば何でもいいから」

とニヤニヤしながら答えてくれた。おかげで緊張が解れたのを覚えている。

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