こうして目標達成をしたところで、もともとの計画が間違っているので、残念ながら目に見える成果は生まれないということになります。
(間違い3)「根本」を疑わず、改善ばかり行う
2でも触れたように、計画を立てると「誤った目標でさえ、達成ができなかったりする」わけです。そうすると、どうなるでしょうか。多くの場合、誤った目標達成に向けて、「やり方を変えなくてはならない」「予算が足りない」という話になってしまいます。「もともとの戦略・計画、もしくは目標設定が間違っているのではないか?」という考えに至らないのです。目標達成に向けて、もっと大胆な事業を策定し、莫大な予算を投じよう、という話になっていきます。
そもそも拡大社会から縮小社会へ転換する場合、従来の戦略・計画の根本を疑い、枠組みから変更するということがなければ、転換は不可能です。縮小社会では、拡大社会時代の前提「増加のみが問題を解決する」という発想そのものを疑い、先行投資を莫大にやれば逆転できるという幻想を捨てなくてはなりません。
新たな時代に則して、まずは現状で確保可能な需要を先回りして確定し、それに対応して施設規模やサービス規模を決定します。初期投資は「補助金でもらって終わり」ではなく、しっかりとマイナスにならないよう投資回収を意識した戦略・計画を立てなくてはなりません。
目標設定のあり方も、従来の「量」で図るようなモノサシでやってはダメで、「一人あたり」の単位や効率といった視点で、計らなくてはなりません。しかし、このように根本から改善するということほとんどなく、空虚な目標を達成するための施策改善という狭い視点で「PDCAサイクル」は回り続けます。
現場は「誤った目標達成」を強いられ、疲弊する
今見てきたように、戦略選択、目標設定、そしてその目標を何がなんでも達成するがための改善というのは、大抵は意思決定者の間違いです。自治体も企業も同様ですが、トップが誤った意思決定をしてしまうと、最も負担がかかっていくのが現場です。
多くの地域政策においては、現場担当の自治体職員などは「こんなことをやっても、まちは良くならない」ということは重々承知のうえで、政治家や行政のトップ、上層部のメンバー、時に自治体OBなどが関与した「対症療法的な予算事業」を遂行しています。
最初から「無理ゲー」を戦わされることを繰り返せば、そりゃあもう、現場としてはいろいろなものを麻痺させなければやっていかれないのです。「麻痺させられた結果」が、無力感や「何をやっても難しい」、というような「否定的マインドセット」を形成してしまいます。こうなってしまうと、事業自体に全く面白みが出ず、「消化試合化」して、さらに状況は「目標は達成されず、どんどん投入する予算などが拡大するだけ」ということになってしまいます。
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