キチンとやっているつもりでも成果が出ないときには、ほとんどの場合、関係者は以下のような「3つの間違い」をおかしているのです。
(間違い1)戦略や計画が「対症療法」にしかならない
戦略・計画策定をするときの「肝」は「ゴール(目標)設定」と「現状の認識」です。将来目指すべきゴールと、現状の認識とをすりあわせて戦略を考えていくわけです。しかしながら、失敗する事業の多くは、ゴール設定が曖昧で、今「表面的に起きている現象」を「問題」と設定してしまいます。つまり、「目の前の問題にどう取り組むか」が、戦略・計画だと思い込んでしまうのです。
どういうことでしょうか。例えば、地方創生においては、人口の増減そのものが問題ではないので、「人口を増やす戦略」そのもの自体がナンセンスです。
かつては人口爆発で人口増加が社会問題といって増加抑制策をして、今度は人口減少が社会問題となってしまうというのは滑稽な話です。そもそも人口の増減は常に起こるもので、「地域を経営」するときには、その増減にどう対応するのかが問われているわけです。当たり前ですが20年後の成人人口は、今年生まれた子供の数で決まります。いくら地域間競争をして、隣近所から奪ってきたところで、国単位では縮小するのです。計画の根本は、人口が減少する20年で、「どうやったら破綻しない持続的な社会を作り出すか」にあります。
しかし、実態は「人口が減るのが問題だ。どう増やすか」という話になり「カネで人を釣るような事業を行うための予算獲得競争」を、戦略・計画と呼ぶようになってしまいます。
もし対症療法的な計画や戦略を立てても、問題は次から次へと噴出します。すると、大半の場合それぞれの問題で対症療法的に対応がなされるので、問題は解決しません。これまでの地域政策では、産業立地再生、中心市街地再生、地域再生、都市再生、農村再生などなど、それぞれの部分だけをとりあげて、うまく行かなかったものをどう挽回するか、という視点でしか計画が組み立てられず、成果もでなかったことを忘れてはいけません。ひとことでいうと、戦略・計画と言えないものを、戦略・計画と呼ぶ最初の段階ですでに失敗しているのです。
(間違い2)達成しても無意味な「目標設定」がひとり歩き
1で指摘したような、「誤った戦略・計画」のうえに、目標設定が行われてしまいます。これは悲劇です。数値目標などが出されると、なんとなく、ちゃんとしたものに見えてしまうので、本当に困ったものです。
例えば、地方都市における中心市街地衰退では「居住者の減少が問題」とされがちです。しかし、そもそも、いろいろな人が選択するうえで、場所によって優劣がつくのは当たり前の現象なのですが、なぜか「中心部でも居住者を増加させなくてはならない」ということになります。
結果として、とある市では全体で40~50万人も人口があるのに、わずか800人程度の居住者を中心部に集めるために、道路や広場や駅改修の社会資本整備、マンション再開発、公共施設整備などで百億円規模の予算が投じられたりしています。しかも、その目標さえ達成されないという悲しさ。このような事例は、何も特定の市の話ではなく、規模の大小こそあれ、どこでも発生しています。
「いくらおカネを使って、何を達成するのか」という費用対効果に対する考え方が、地域分野ではほとんどありません。しかも、恐ろしいのは、誤った数値目標を達成するために、決めたものは採算をさらに度外視してまでやってしまうことが多く出てきます。数値目標を達成しさえすれば良い、という話になってしまうわけです。
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