SNSを見ると「疲れてやる気が出ない」納得理由 「強い快楽」と「承認欲求」ばかりを追う人の末路

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そればかりを追うと「もっと快がほしい!」という連鎖から降りられなくなり、総体としてのゆたかさは減ってしまう。ゆるやかな快は、穏やかで地味ですが持続的なものです。

とすれば、生活の中に持続的でゆるやかな快をなるべく多く組み込んで、両者のバランスをとっていくのが得策だと思うのです。

身体の声を聴きながら、そうした「穏やかなしあわせ」「なんかいい感じ」を感じられるようなものを見つけて育てていくことが、ゆたかさの下地を耕していくことにつながりそうだなと思い、私自身も日々開拓しているところです。

生存本能としての承認欲求

SNSの時代になって、「承認欲求」という言葉が有名になりました。

承認欲求とは、「他者から認められたい」「自分を価値ある存在として認めたい」という願望のことであり、これが強すぎることは、一般的にネガティブなものとして受け止められています。

しかし、他者とコミュニケーションをとる際に、「自分がどのように振る舞えば、目の前の相手から承認され、好感が持たれるか」「有能な人だと思ってくれるだろうか」「嫌われないですむだろうか」といったことをまったく考えない人は皆無なのではないでしょうか。

他者に自分がどう映るかを考えるのは、とても自然なことです。なぜならば、社会の中で孤立しては、生きてはいけないからです。

承認欲求の根底にあるのは、「自分には関わる価値がある」ということを相手に証明して、周囲に認知してもらうことで、孤立せずに生き延びるための生存本能です。注目してもらえなければ生きられないから、注目を求める。それは、「他者とつながって生き延びる」というほ乳類としての戦略です。だから、承認欲求は必要なものであり、悪者ではありません。

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