SNSを見ると「疲れてやる気が出ない」納得理由 「強い快楽」と「承認欲求」ばかりを追う人の末路

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しかし、行きすぎた承認欲求によって苦しんでいる人がいるのも事実です。承認欲求の苦しさは、「私には価値があります」とつねに証明し続けなければいけないことの苦しさにひもづいています。

承認欲求が強いというのは、つねに何らかの価値観によって他者からジャッジされてきたことの裏返しかもしれません。

そして、みんなが少なからず、お互いに「この人は自分にとって価値があるか」というジャッジの視点を持ちながら人間関係を形成しています。「持ちつ持たれつ」が人間社会の本質なので、それは仕方のないことかもしれません。

しかし、そういうことを考えないでもいいコミュニケーションも存在します。

「ジャッジしない」関係性というのは、安心を考えるうえでとても重要です。人は誰かから評価の対象になっているとき、防衛的になります。とくに弱っているときほど、余裕がなくなり、交感神経が働きやすくなります。

自分をジャッジする人から離れるというのは、ピンチの定石であるといってもいいかもしれません。

「ただそこにいるだけ」でいい関係を大事に

承認は、人が生きていくために必要不可欠なものですが、過度な承認欲求はゆたかさにつながりません。

承認とうまくつきあっていくうえで、とても大事なポイントがあります。それは、承認には「価値への承認」と「存在への承認」の2種類が存在する、ということです。

前者は、「お金を持っている」「仕事ができる」「役に立つ」「容姿が美しい」「話が面白い」といった優れた価値に向けられる、条件つきの承認のことです。

後者は、その人が、その人のもつ「有用さ」や「価値」を問わず、存在としてあるがままに受け入れられるということ。いてくれるだけでありがたいと思えるような、無条件の承認のことです。

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そして、本当に安心に結びついているのは、存在に対する承認です。すべての人間関係は、この2つの承認のバランスによって成り立っているのだと思います。

価値への承認のバランスが大きくなれば、関係はより合理的でビジネスライクになります。「金の切れ目が縁の切れ目」というのが典型的です。この関係ばかり維持しようとすると、自分でも気づかないうちに心をすり減らしてしまいます。

一方、存在への承認のバランスが大きくなれば、赤ちゃんと親のような関係に近づきます。利害関係がなくても成立する関係は、より根源的な安心に近いものとなるでしょう。

人間関係に疲れているときは、まずは本当の意味での休みが必要です。価値への承認から離れ、存在への承認にフォーカスしてみる。お互いに「ただそこにいてくれるということが、ありがたい」と思えるような人間関係の割合を、少しずつでも上げていくことで、私たちの心は癒やされる方向へと向かい、ゆたかさを取り戻すことができるのです。

鈴木 裕介 内科医・心療内科医

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すずき ゆうすけ / Yusuke Suzuki

2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズに参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。また、研修医時代の近親者の自死をきっかけとし、ライフワークとしてメンタルヘルスに取り組み、産業医活動や講演、SNSでの情報発信を積極的に行っている。

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