「ドリル優子」批判やまない小渕氏の不安な前途 どっぷり漬かった「昭和の政治」から脱却できるか

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しかし、その原因は「いつか世間も忘れてくれるという態度を続けてきたことへの批判」(閣僚経験者)だったことは否定できない。だからこそ安倍、菅、岸田と続いた3政権では目立つ役職への起用は避けられてきたのだ。

その中で小渕氏は、2017年には党組織運動本部長代理、2019年には党政調会長代理、2021年には党選対委員長代行と党組織運動本部長として、裏方の活動を続けてきた。これに対し「色々思惑はあっても、自民党内では“小渕ブランド”復活への期待があり、それが今回の人事につながった」(同)とみられている。

岸田首相が小渕選対委員長に踏み切った背景には「6月に亡くなった青木幹雄・元自民党参院議員会長の『優子を頼む』との“遺言”と、それを後押しした森喜朗元首相の強い要請」があった。青木、森両氏は、小渕氏の父の恵三元首相と早大雄弁会の同窓として深い絆があり、特に小渕恵三政権で幹事長を務めた森氏は、首相在任中に病に倒れた小渕氏の後継首相となった経緯があるからだ。

人事前のインタビューで「腹くくる瞬間がある」と決意

今回の表舞台復帰を前に、小渕氏は『サンデー毎日』の企画した田原総一朗氏の特別インタビューの中で、初めて「首相の座」を目指す心境を吐露した。同インタビューは内政・外交各分野での小渕氏の考えを質したものだが、やはり注目されたのは有力政治家としての今後の目標についての発言だった。

インタビューの終盤に田原氏が「小渕首相待望論があるが」と核心に切り込むと「私の場合は父が倒れ、私なりに覚悟を決めてこの世界に入りました」と答えたうえで「私はずっと父の背中を見ながら育ち、父が総理をやった2年弱の苦労を見ています。命を削り身をもってそれを体現した姿が浮かびます。あの背中と同じ背中を今の自分が見せられるだろうか。自信はないし不安だらけです」とまずは正直に語った。

そのうえで総理の座について「目指しているとも言い難いが、腹をくくる瞬間というのがある。経産相になる時も、子供を産む時もくくる瞬間があった。(将来)またあの瞬間が来るだろうなとは思う」と控えめな表現ながら決意をにじませた。

当の田原氏はインタビュー後「人柄もよく、調整能力に長けている。女性初の総理を目指してほしい」と小渕総理への期待を強調した。しかし、改造後の各種世論調査では、小渕氏の抜擢を「評価しない」との声が多数派だ。

折しも、政局秋の陣は「いよいよ佳境に入り、解散風も吹き荒れている」(自民長老)。その中で野党側は小渕氏への“個人攻撃”に活路を見出そうとしており、「今後の展開次第では、岸田首相にとって小渕氏という存在が政局運営でも重い足かせになる可能性」(同)も少なくない。

泉 宏 政治ジャーナリスト

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いずみ ひろし / Hiroshi Izumi

1947年生まれ。時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上、永田町・霞が関で政治を見続けている。時事通信社政治部長、同社取締役編集担当を経て2009年から現職。幼少時から都心部に住み、半世紀以上も国会周辺を徘徊してきた。「生涯一記者」がモットー。

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