──しがらみだらけの経営体制に切り込んだ。
経営的な視点が欠けていた。普通に売り上げを立ててコストを削減し、将来に投資をする。会社経営では当たり前のことが十分できていなかった。TBSに「(球団側が)何もしてくれないと言っている」と話したら、「毎年20億円の赤字に耐えて、何もしないわけないでしょう」と。親会社として資金支援していたわけだが、それにしても20億円の赤字っておかしい。だから買収したときは、「あなたたち倒産している会社なんだから、助けてくれるという考えがおかしい。だから売られてしまったんだ」といった調子で話をしていった。
球団の赤字は年20億円、倒産会社と変わらない
──なぜ今、DeNAを辞めるのですか。
取締役は任期2年で、6月で満了となる。こう見えて、僕は責任感が強い。もし継続したら48歳になる。やりたいことがあるのに、2年経ったら意欲がなくなっているかもしれない。過去を振り返るとDeNAは、毎年のようにいろいろな出来事が起こる。この2年近くは海外にいたが、現地でも多くのことがあった。1年前に悩んでいた頃、ゲーム事業がいい感じになり、米国子会社もよくなった。新しいことにチャレンジするには、いいタイミングと思った。
──本当は南場氏が夫の看病で2011年に退任するタイミングで、一緒に辞めるつもりだった。
辞めようとしたのは何度かあるが、初めて南場さんに伝えたのは2008年5月。DeNAが2007年12月に東証1部へ市場変更する承認が下りた日に、コミュニティサイトの「モバゲー」が出会い系サイト問題で、総務相が携帯電話キャリアに対して規制を求める要請を出した。モバゲーを潰されかねない局面を回避するため、2008年4月に業界団体を設立した。
そのメドが立ち、1部上場も果たした。「次の人がやるほうがいい」と南場さんに言ったら、「私も50歳を超えて経営するつもりはない。若い人がやっていくものだと思う」となって。「次の社長も含め、それぞれ育てなあかんよね」で話は終わった。その後、ゲーム事業を始め、海外企業を買収するなど、ものすごい勢いで時間が過ぎていった。すると今度は南場さんが辞めると言い出し、「僕も一緒に辞めようかな」と。
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