川崎汽船の黒谷研一社長が「戦意喪失」で突如辞任、その背景は…

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 黒谷氏が社長に就任したのは昨年4月。前任の前川会長よりも1歳年上で社歴では2年先輩の黒谷氏の前職はシンガポール子会社の社長だ。黒谷氏の職歴は本体では理事が最高で、本体役員経験がなく、異例の大抜擢人事だった。海外経験が長く、前例にとらわれない口ぶりが、記者やアナリストに好感を持って受け入れられた。

内規上、川崎汽船の取締役は65歳である間に退任しなければならない。この内規に照らせば、1946年12月19日生まれの黒谷氏は2011年12月19日~12年12月18日の間に退任しなければならなかった。就任当時、黒谷氏は「ミニマム2年やる」と言い、そう言う黒谷氏に前川会長は「自分で2年と言わないほうが良い」と忠告していたほどだ。「もう少しやるんじゃないかと思っていた」(前川会長)。

つまり、最低限、来年3月までというのが就任当初の黒谷氏の思いであったし、内規上は来年12月18日まで社長でいられた。そもそも、前川会長が会見が認めたとおりならば川崎汽船において社長の権限は絶大だから、その気になれば内規を変えることもできたはずだ。就任直後の東洋経済のインタビューに対し、黒谷氏は「基本的には体力の続く限り社長をやる」と話していたほどだ。

思えば黒谷氏の社長就任が発表されたのは09年の暮れのこと。取締役経験のない大抜擢人事に「度肝を抜かれた」(大手他社幹部)。そして今回の辞任は就任発表時以上の驚きを与えた。想定を超えた短期政権となった黒谷氏の現在の心境を問われると、前川会長は「満足、ということはなく、忸怩たる思いはあったと思う」と率直に述べている。

黒谷氏の戦意喪失の理由は不明だ。

黒谷氏は東日本大震災が起こる1週間前の3月4日に社員に向けたメッセージの中で、「自然災害と言えば阪神淡路大震災との遭遇が鮮明であります」と切り出し、当時学生だった2人の息子がボランティア活動を通して社会貢献したことを披瀝。

「ボランティア活動の根っこにあるものは、物資の輸送を通じて世界を支えるという外航海運に通じるものがある」との持論を展開。「わが社の求める社員像とは、(中略)ボランティア活動など直接の業務以外の事に対しても自分の意思と思いをもって世の中の動きを敏感に肌で感じ、その本質を理解しようとし、機敏に行動を取れる人材」と結論づけていた。

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