社長は大手広告代理店出身のやり手で、数々の人気番組や有名アーティストを手がけてきた強者です。
最初に「これからは、僕のやり方に従ってください」といわれてはいたものの、あまりにもハードなスケジュールに担当マネージャーが悲鳴を上げる始末。
私が交渉しても「受けた仕事は文句をいわずに、とにかくやる!」と取り付く島もありません。意にそぐわないことが起こると、夜中に「謝りに来い」と呼び出しがかかり、「土下座して謝れ」といわれたこともあります。
この頃の私は、ビジネスの感覚の違いに悩みながら、彼が求める以上の完璧な仕事をこなしていました。その一方で、すべてが受け身で、人に動かされているストレスもありました。
でも彼のおかげで仕事の販路が広がり、海外の仕事を含めて活躍の場が増えたことは事実でした。ビジネスの厳しさを教わるなか、さまざまなジャンルの仕事が舞い込んできて、世界が広がりましたからね。
またこの頃は、自分の美しさを思う存分磨き上げることができた時期でもありました。ファッション誌のグラビアやファッションショーにモデルとして出るなど、私がいちばんきれいだった時期と重なります。
人生は表裏一体。いやなこともあれば、いいこともある。どれも貴重な体験だったと冷静に振り返ることができるようになったのは、60代になってからです。
人生の分岐点で「気づきの瞬間」
マネージメントなど、面倒なことを人任せにしていると、ある意味ではとても楽です。自分のことだけ考えていればいいのですから。
一流のブランド品を身に着けて、自分を大きく見せようとしていたあの頃。外見的な自己満足度は非常に高かったのですが、本当の意味では、まだ自分に自信がもてていなかったと思います。周りからチヤホヤされてもち上げられるなか、心のどこかに不安を感じている自分がいました。
そんなとき、弟子たちに「昔の先生と違う。先生らしくない」と指摘されたのです。その言葉にハッとしました。華やかな世界の、超売れっ子モデルになったような高揚感が勝り、自分本位の生き方をしていたのかもしれません。
弟子たちにいわれるまでもなく、私自身もどこかで、「こんな生き方をしていて大丈夫? これでいいの?」と心が揺れているときだったので、「いまからでもやり直せるよね。まだ間に合うよね」とみんなにいったのを覚えています。
自分勝手に生きていると、自分の肘が人に当たっていても気づかないものです。相手の痛みに心を寄せることなく、そのあとのフォローや気配りがなければ、人との信頼関係を失ってしまいます。
人が人として生きる上で、大事なことに気づいた瞬間でした。
私の人生を振り返ると、分岐点に差し掛かったとき、ふいに「気づきの瞬間」が訪れるようです。
幼い頃から、つらいことがあると自分の心と向き合って、折り合いをつけてきた習い性もあるのでしょう。その都度自分を立て直しながら、いまの人生哲学が培われてきたような気がします。
自分の心に恥じないような生き方をするために、もっと内面を磨くようにと教えられた転機も、けっして偶然ではなかったと思います。
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