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廃止決定「上野動物園モノレール」の歴史的意義 新時代の交通「実験線」、独特の方式は広がらず

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  • 森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト
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上野懸垂線が建設されたおよそ3年後の1961年2月、運輸省(当時)を中心に私鉄経営者協会(現・日本民営鉄道協会)と公営交通事業協会が協同して、ヨーロッパのモノレールの現状と計画を視察するために、2週間のスケジュールで「欧州モノレール視察団」を派遣した。小田急の渋谷専務を団長に、京阪の上林常務、名鉄の香高施設局長(いずれも当時)ほか、10名が参加するという大がかりなものであり、私鉄業界がいかにモノレールに注目していたかがわかる。ちなみに、名鉄は翌1962年に犬山遊園モノレール、小田急は1966年に向ヶ丘遊園モノレールを開業させている。

この欧州視察団の報告書を見ると、アルヴェーグ式とサフェージュ式を視察した結果に基づいて、技術的な詳細がまとめられている。当時、アルヴェーグ式は1952年にドイツ・ケルン郊外のヒューリンゲンに当初1/2.5サイズの試験線(鋼鉄車輪・レール)がつくられ、1957年にフルサイズのもの(ゴムタイヤ・コンクリート軌道)につくり替え、試験走行が行われていた。

また、サフェージュ式は、1960年にフランスのオルレアン郊外のシャトーヌフに試験線がつくられ、試験走行がはじまっていた。この試験線は、映画『華氏451』に登場するのでご存じの方も多いだろう。サフェージュ式は前述した特殊懸垂リンクの採用に加え、ゴムタイヤがケーソン型(箱形)の軌道内を走行するため低騒音かつ登坂力が高く、さらに風雨雪にも強いという特徴も兼ね備えるなど「懸垂型モノレールの決定版」とも評された。

サフェージュ式モノレール(湘南モノレール)の軌道と転轍機(筆者撮影)

技術開発進展で「上野式」は過去のものに

このように上野懸垂線が建設された後、わずか数年の間に「近代モノレール」とカテゴライズされる技術が、次々と萌芽した。欧州視察団の報告書を見れば、すでにアルヴェーグ式とサフェージュ式こそが、その後の都市モノレール推進の本命であると目されていたことがわかる。

また、メーカー各社の動きも早く、日立製作所は1960年にアルヴェーグ社と技術提携を結び、少し遅れて1962年には三菱グループがサフェージュ社、川崎航空機がアメリカのロッキード社(ロッキード式モノレールは向ヶ丘遊園モノレール、姫路モノレールで採用)と提携し、技術導入した。

そして、1970年に大阪万博会場内で運行されたアルヴェーグ式の改良型である日本跨座式モノレール、および同年に開業したサフェージュ式の湘南モノレール(2023年6月16日付記事「湘南モノレールは『海岸』まで延びる予定だった」)の成功によって、日本跨座式とサフェージュ式が、モノレールの標準仕様となることが確定した。

さらに1970年代に入ると、新交通システムの検討・実験も本格化する中、上野式は、技術的にはもはや過去のものとなり、ついに他路線で実用化されることはなかった。しかし、パンダのカンカン、ランランが上野動物園に来た翌年の1973年度には約153万人が上野懸垂線を利用するなど、乗り物としてのその人気は高く、開業から60年以上の長きにわたり運行が続けられたのである。

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