廃止決定「上野動物園モノレール」の歴史的意義 新時代の交通「実験線」、独特の方式は広がらず

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また、道路率については、ニューヨーク(35%)、パリ(25%)、ロンドン(23%)と比べ、東京23区はエリアによってばらつきはあるものの、全体ではわずか10%にとどまっていた。こうした道路と交通需要の不均衡に起因する大渋滞によって、都電の運行速度も次第に低下し、利用客離れが進んでいた。

このような状況下で注目されたのが、モノレールだった。モータリゼーションの進展の速度を考えれば、地上を走る路面交通と分離した交通手段を導入すべきなのは明白であり、当時、考え得る選択肢としては、地下鉄、アメリカなどの都市で見られる高架鉄道、そしてモノレールがあった。

このうち、本命は地下鉄だった。なんといっても輸送量が大きく、ひとたび完成すれば、路面交通をまったく妨げることがない。しかし、地下鉄の建設には巨額の費用がかかる。1958年8月、東京都交通局は都営地下鉄1号線(現・都営浅草線)の建設に着手したが、その費用は1kmあたり約45.3億円にものぼった。したがって、地下鉄はその対象を幹線に絞らざるを得なかった。

では、高架鉄道はどうかというと、土地の狭い日本においては、都市部で大きな構造物を設置する用地の確保は難しく、日照権などの問題も懸念された。

「新時代の都市交通」期待背負い開業

その点、モノレールは、一般の鉄道の線路に当たる軌道桁と、それを支えるスリムな支柱を設置するだけでよい。建設費用は地下鉄の4分の1程度で済むと試算され、日照権などの問題も少ないとされた。ただし、輸送量が中規模に限られることもあり、地下鉄を建設するほどの需要が見込めない2次的な交通機関(都心から放射線状に延びる国電、私鉄、地下鉄などを有機的に結合する環状路線や地方都市の交通など)として、期待されたのである。

懸垂鉄道敷設免許状の下付について
国が東京都に「懸垂鉄道敷設免許状」を出した際の公報(出典:運輸公報)

このような事情から、来たるべき新時代の都市交通としてモノレールが検討されることになり、「都内の路面交通の緩和策として懸垂電車の試験的建設が昭和31年7月3日庁議によって決定され、上野動物園内に建設されることになった」(『東京都交通局50年史』)のが上野懸垂線である。

実験線ということで車両は長さ9283mm、幅1682mm、高さ2256mmと、将来本格的に製造されるであろう実用車よりもスケールダウンして設計。路線の長さは約332mの単線、最急勾配約40‰(パーミル=1km進むごとに40m上る)、最小曲線半径40mというスペックだった。

モノレールにもさまざまな技術方式があるが、上野懸垂線で採用されたのは、現存する中では世界最古のモノレール営業線であるドイツのヴッパータール空中鉄道の「ランゲン式」(ドイツ人技術者のオイゲン・ランゲンにより開発)の改良型で、一般に上野式と呼ばれている。

上野動物園モノレール H型
上野懸垂線の初代車両、H形(写真:東京都交通局提供)
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