「ケガや空腹に気づかない」感覚鈍麻という"痛み" 知られざる「痛みを感じない子たち」の苦しみ
また、この「感覚鈍麻」は――とくに、ふだんから“不器用”“大雑把”あるいは“天然”“不思議ちゃん”などと思われている人を中心に――私たちが、すでに抱えているかもしれない特性の1つでもある。
たとえば、会社に向かおうと早足で急ぐとき、角を曲がろうとしたが、気持ちが急いてホームの柱にぶつかってしまった。ショックなことが起きたときに、大好きなカレー店に足を運ぶも、ぜんぜん味がしない……。
これらは、とくに「感覚鈍麻」という特性を意識していない一般的の人でも、何度か体験したことがあるはずだ。
感覚自体に「いい/悪い」はない
では、どこまでが「正常」で、どこかが「異常」なのか――。その確たるラインは存在しない。つまり、誰もが抱えうる“感覚”の問題なのである。
黒川氏は、このように続ける。
「私たちは、目から取り入れた視覚情報を脳で処理することにより、対象物の大きさや距離、角度などを判断します。また、人と人との関係では、総合的に関係性や状況を判断して、相手との間の物理的な距離を調整することもできます。
しかし、慌てていてタンスの角に足の小指をぶつけ痛い思いをするということは、よくあること。これは、脳の注意機能を別のことに使っていて、周囲への意識が向けられなかったため。つまり、感覚に過敏や鈍麻などの特性を自覚していない人でも、状況次第では、過敏や鈍麻のような状態になることがあるものです。
また、落ち込んだときに空腹を感じないといった症状は誰しも覚えがあるもの。つまり、感覚の感じ方(知覚)は状況や体調により揺れ動くものであり、どこからどこまでが『正常』なのか、どこからが『過敏/鈍麻』なのかといった境界はないのです」
つまり、感覚自体に「いい/悪い」はないということ。そして社会で生活するうえで、特性を持つ人が困り感を強く抱え、学校や会社に行けなかったりする場合があるということを、私たちは知っておかねばならない。