アダルトビデオ界の大物は、どんな男なのか

異色経営者DMMグループ亀山敬司伝<1>

石川県加賀市は田園風景の向こうに霊峰・白山の雄大な山塊を望むことができる日本海側有数の温泉郷だ。人口はおよそ7万人。そこに周辺を含めれば年間500万人以上の遊客が全国から訪れる。1961年3月、亀山はこの地で生まれた。

実家は商売を手掛け、地元で「浜茶屋」と呼ぶ海の家やカメラ屋、呉服店、飲食店、果ては手取川での「フィッシュランド」と、田舎町でおよそ考えられるかぎりのことを次から次に試した。片山津温泉でキャバレーを構えた時期もある。住み込みで働く数人の女性からはその頃「ケイシ君、ケイシ君」とかわいがられた。

少年時代はどこか風変わり

「授業中はずっと寝てましたね」――。県立大聖寺高校で同級だった中西隆彦は当時の亀山の様子についてそう笑い飛ばす。地元のとびきり優秀な生徒が隣町の小松高校に進む一方、大聖寺高校は二番手といったところで、それでも金沢大学には毎年数十人が合格する進学校だった。もっとも、亀山にこれといった得意教科があるわけではなく、部活動も登山部に出入りしたり、柔道部に顔を出したりといった具合だった。中西によれば、絵を描くことが好きな亀山はある日、友達数人を誘って、悟りを開こうと山寺に座禅を組みに行ったことがあったという。どこか風変わりなところがあった。

高校卒業後、亀山は税理士を目指して上京し、大原簿記専門学校に通うこととなる。が、先生から「税理士は将来苦労するぞ」と言われ、2年も経たずにあっさり考えを変えた。〈商売しようかな〉――。そう思い、友人と2人で貸しレコード屋を始めることにした。まずはアルバイトである。が、開業資金はなかなか貯まらなかった。

ある日、バイト先から帰る途中、六本木で外国人が道端に布を広げアクセサリーを売っていた。亀山はとっさに願い出た。「やり方、教えてください」――。その時、19歳で教わった露天商が商売の原点だ。

都内の繁華街だけでなく青森のねぶた祭りにまで遠征した亀山は露天商のコツをすっかりつかむと、まとまったカネを貯めては海外に半年ほど放浪の旅に出ていた。捨ててもいい服に下着が2、3枚。安宿に泊まり、所持金に困るとチップ仕事にありついた。結婚して会社が大きくなっても、そうした旅には時折出る。内戦下のボスニアではスパイと疑われ半日ほど拘束されたりした。

郷里に帰ったのは24歳の頃。姉の妊娠がきっかけだ。姉夫婦は加賀で昼はフルーツパーラー、夜はカラオケ店を営んでおり、亀山は手伝いを頼まれ帰ることになった。傍ら、自らの手で新たな商売を始めた。カラオケ店の2階が空いており、そこで麻雀荘を開いたのを手始めに、プールバーの店も出してみた。

そんな中、レンタルビデオがはやり出したのを知り、小松市に1号店を出す。が、すぐ近隣に大型店ができ、在庫を持って加賀に引っ込んだ。地元ではうまく行き5店舗ほどまで増やしたが、今度は金沢から大手が進出してきた。極真空手家としても著名な浜井識安が経営する「ビデオシティ」は北陸を席巻しており、亀山は「もう勝てない」と確信する。思い切って浜井のところに行き、こう言ってみた。「フランチャイズになりますから、加賀に来ないでください」。浜井は面白い奴だと思ったらしい。亀山はビデオシティ傘下で自由に経営することを許された。

そうこうするうち亀山はレンタルビデオの将来を想像するようになっていた――。

=敬称略=

<2>アダルトビデオで儲かるのは「販売」ではない

<3>アダルトビデオ界の大物が切り拓く"新境地"

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