新1万円札「渋沢栄一」は日本の顔にふさわしいか 来年7月に発行、デザインの刷新は20年ぶり

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とりわけ、妾と同居させられた千代の気持ちはいかばかりでしょうか。千代は「夫は何事にも通じて、情に厚いから女性に慕われるのでしょう」と達観していたとされますが、はたして本心だったのかどうか。超好色家・渋沢を飾った新1万円札には、内外の女性団体・人権団体から抗議の声が上がるかもしれません。

それよりも個人的に疑問に思うのが、渋沢の経済人としての功績です。財務省・日銀は、渋沢の功績を高く評価したわけですが、本当に、「日本の顔」「日本を代表する経済人」と言える功績を残したのでしょうか。

渋沢は、1840年に武蔵国(現・埼玉県)の農民の子として生まれ、武士に取り立てられ、幕臣になり、明治維新後、民部省・大蔵省の役人になりました。そこから実業界に身を転じて、日本初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ銀行)を設立しました。

その後、渋沢は、この第一国立銀行を起点に、株式会社組織による会社の創設・育成に取り組みました。91歳で亡くなるまで、約500もの会社の設立・経営に関わりました。また、主著『論語と算盤』の言葉に代表される、道徳経済合一の思想を広めました。

渋沢は日本を代表する経済人なのか?

このように渋沢は、資本主義の勃興期だった明治時代に大活躍しました。とはいえ、渋沢を「日本の資本主義の父」と呼ぶのは、かなり誇張だと思います。

500もの会社を設立・経営するとなると、当然ながら1つひとつの会社への関与は限られてきます。第一国立銀行、抄紙会社(現・王子ホールディングス、日本製紙)、東京ガスなど渋沢が初期に設立を主導した会社はともかく、大半の会社では、渋沢は少額の出資を引き受け、形ばかり監査役や社外取締役に就任して名前を貸したにすぎません。

つまり、渋沢が自分で会社を創ったというより、明治・大正の起業家たちが、資金と「俺のバックには渋沢御大がいるんだぞ」という信用力を得るために渋沢に群がった、というのが実態なのです。「日本の資本主義の応援団長」と呼ぶのが適切でしょう。

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