新1万円札「渋沢栄一」は日本の顔にふさわしいか 来年7月に発行、デザインの刷新は20年ぶり

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渋沢栄一 一万円札
(写真:Taisuke/PIXTA)

財務省と日銀は6月28日、新紙幣を来年7月前半をめどに発行すると発表しました。デザイン刷新は、2004年以来20年ぶりになります。新しい1万円札には、「日本の資本主義の父」と言われる渋沢栄一(以下「渋沢」)が描かれます。

最高額面の紙幣を飾るのは、言うなれば「その国の顔」。その国を象徴する人物や風景が選ばれるのが、世界的な常識です。しかし、渋沢は本当に「日本の顔」にふさわしいのでしょうか。

今回は、渋沢の行跡・功績を振り返って、渋沢が新しい1万円札を飾ることの問題点を検討します。

「時代が違う」とは言うものの

渋沢というと、功績の前に忘れてならないのが、女性関係です。祖田浩一編『好色家艶聞事典』や佐野眞一著『渋沢家三代』によると、渋沢は明治時代の花柳界で5本の指に入るスーパー遊び人だったようです。

渋沢には、20人程度の婚外子がいました。正確な数は不明で、もっと多かったとも言われます。多数の妾に産ませたのでしょう。妾のひとりは、妻の千代とほぼ同時期に渋沢の子を生んでいます。さらに、千代の許しを得て妾を渋沢家に住まわせていた時期もあります。

明治時代の資産家・有力者が妾を持つというのは、珍しいことではありません。また、渋沢は、女性を蔑視していたわけではなく、海外で女性が活躍している様子を見て女子教育の必要性を痛感し、伊藤博文や勝海舟らとともに1887年に女子教育奨励会を、翌年には東京女学館(現・東京女学館大学)を創立しています。

しかし、「今と明治時代では時代がまったく違うから」「英雄色を好むと言うし」「女子教育への貢献でチャラになったでしょ」と済ませるには、渋沢の女性関係は度が過ぎるように思います。

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