「推しの魅力を伝えたい」オタクに一番大切なこと 大事なのは「自分だけの感情」をいかに表現するか

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まあ、そりゃ学校では推しの語り方、なんて授業はありませんよね。当然です。

でも、考えてみてください。読書感想文の宿題はありましたよね? 

なんでもいいから1冊本を選んで、感想を夏休み中に書いてきてね、と学校の先生から言われたことがあるはずです。でも、どうやって読書感想文を書いたらいいのか、その方法論は学校でほとんど教えてくれません。

宿題はでるけれど、その宿題の解き方は教えない。教えるのは、原稿用紙の使い方とか「て・に・を・は」の使い方とか字数の規定とか……。作文のルールを知ったところで、読書感想文を書けるかと言われると「書けないよ!」と言う生徒がほとんどなはず。

「ありのままの感想を書けば作文になる」信仰

それでも学校が、読書感想文の宿題を無邪気にだし続ける理由。それは、「自分のありのままの感想を書けばそれがそのまま作文になるはず」という信仰に基づいているからです。

本を読んで感じた通りに、その感情を紙に書けば、それがいい読書感想文になる——そんなふうに先生も生徒も思っているからではないでしょうか。

でも、当然ですが、そんなことありえないですよね。だいたい、読書して感じたことをありのままに書くことで、いい読書感想文が書けるなら、書評家いらないじゃないですか!

書評家もとい(たぶん)読書感想文のプロとしては、「いやいや、感想を舐めてもらっちゃ困るよ」と言いたい。

文章を書くことにも、技術が必要です。技術を駆使してこそ、いい感想文を書けるようになる。それは逆に言うと、「書く技術さえ理解すれば、いい感想やいい文章は書けるようになる」ということ。

それに読書感想文だって、考えようによっては推し語りだとも言えますよね? だって自分の好きな本という推しについての感想を書くんですから。

そこにはちゃんと、必要とされる技術があるはずです。

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