噛む菓子「グミ>ガム」になった令和ならではの訳 グミがガムの市場を奪ったと考えるのは短絡的

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1990年代になると、さまざまなメーカーが本格参入。エポックメイキングだったのが、2002年にカンロが出した「ピュレグミ」だ。「駄菓子の延長線上で子ども向けだったのが、女性が小腹を満たすグミとして、コンビニで売り出した。レモン味でハートの形をしていて、袋にチャックをすればカバンに入れられる。5年ほど前からハリボーも、小袋入りにしてコンビニで販売するようになりました」と武者氏。

2023年になるとセブンイレブンがPB商品を発売し、明治が1997年からのロングセラーのキシリッシュをグミに替え、ガム事業から撤退するなど、「大手がグミに本気を出してきた」と武者氏は推測する。

お菓子から機能性を追求するようになったガム

一方ガムは、日本には大正時代に入って来るが、本格的に広がるのは戦後で進駐軍の影響が大きい。

ロッテマーケティング本部の福田貴司氏は、「重光武雄名誉会長が日本の子どもたちに、よりよい製品を作って届けたい、と1948年に当社を創業しました」と話す。1957年にはロングセラーのグリーンガム、1960年にクールミントガムを発売。「この頃、甘いお菓子のイメージからシフトチェンジし、大人のエチケットとして発売しました」(福田氏)。

1983年に発売したブラックブラックガムで、「お口スッキリ!」などの目的を訴求する時代に。1997年、キシリトールの食品添加物認可に合わせて、歯にいいイメージのキシリトールガムを発売し、2001年に特定保健用食品になった。2010年代後半には、トクホのガムや歯につきにくいガムなども販売している。

ロッテはまさに、戦後から一貫してガムの市場を切り開いてきた会社だった。発売時期と拡大時期を比較すると、ガムは昭和から、グミは平成からの菓子で、愛好する世代が異なるのは当然と言える。

今回、ガムに注目が集まるきっかけになったのは明治の撤退だが、1916年創業の同社が、ガムを発売したのは1997年のキシリッシュから、とかなり遅い。そもそも事業におけるガムウェイトが小さく、グミはパイオニア企業でもあるわけだから、そちらに力を入れるのは当然と言える。

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