日本共産党が中国共産党と和解するのはなぜか 岸田文雄政権の防衛費拡大への危機感が後押し
提言を中国大使館に提出した3月、呉大使は提言について「やや意外だった」という反応を示し「本省に支持を仰ぐ」と、同党に回答したという。「やや意外」とは、志位がこれほど早く中国に和解を求めてくるとは想像していなかったという意味であろう。
中国で政党間の交流や協力を担当するのは外交部ではなく、党中央対外連絡部(「中聯部」、部長は劉建超氏)。中聯部で日本や朝鮮・モンゴルを担当するのは第2局。おそらく第2局は、提言について、王毅政治局員がトップの「中央外事工作委員会弁公室」に指示を仰いだはずだ。そして王毅を通じ習に「お伺い」を立てた。両党の関係修復は中国トップのマターなのだ。
断絶と修復の歴史
日中両党の関係は、中ソ対立や文化大革命など国際共産主義運動と中国共産党の政策をめぐって動揺し続けてきた。文化大革命の評価について1966年3月、毛沢東と宮本顕治の首脳会談が決裂し交流は断絶した。
関係が修復するのは、不破哲三 (1930~)委員長当時の1998 年 6 月、北京での両党会談だった。中国側は関係修復に伴い、同年8月「赤旗」と産経新聞の北京支局再開を認めた。不破体制下の共産党は、中国の社会主義市場経済を「新たな探求」として肯定的に評価した。
しかし2000年に委員長に就任した志位は、尖閣や南沙諸島問題など領土問題や、チベット・ウイグル・香港デモなどの人権問題をめぐり次第に中国批判を開始した。
とくに習近平体制に移行(2012年)後の2014年に行われた日本共産党第26回党大会は、中国を「覇権主義や大国主義が再現される危険もある」と公然と警告した。
そんな危うい関係を断絶に導く事件が発生した。それがマレーシア・クアラルンプールの「アジア政党国際会議」(ICAPP 2016年9月1~3日)での両党対立。代表団長として出席した志位らによると、日本共産党代表団は総会宣言に「核兵器禁止条約の国際交渉のすみやかな開始を呼びかける」という文言を盛り込むよう主張した。
これに対し、中共代表団は「こういう文章を入れることは、侵略国の日本がまるで被害国のように宣伝されてしまう」などと反対、中共代表団がこの部分の削除を要求して宣言から記述は削除された。
日共側は、中共の対応を「覇権主義的なふるまい」として強く反発。翌年2017年1月の共産党第27回党大会は、①核兵器問題での深刻な変質、②東シナ海と南シナ海での力による現状変更をめざす動き、などを挙げ「新しい大国主義・覇権主義の誤り」と、中国名指し批判に踏み切った。
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