「米中対立」下の日本で考える「中華」と「中国」の今 現代の日中とは異なる視座から見る歴史的展望
──中華は中国とは別物だろうか
冬は中華まん、夏は冷やし中華。「中華」といって、まず連想するのは、食べ物・料理・ごちそうである。和洋中と聞かれて、「中華」を選ぶ日本人は、きっと少なくないにちがいない。おいしそう、と幸せな気分になってしまう。
もちろん身近な料理にとどまらない。中華街の町並み、喧噪、お祭りもある。もう少し大がかり、あるいは高尚で抽象的になれば、中華とは文化であり、文明である。人口に膾炙(かいしゃ)してきた「中華思想」という用語など、その最たる用法だろうか。
いずれにも共通するのは、「中華」は国籍不明・住所不定ということである。中華街は横浜・神戸のみならず世界中にあるし、フランスの中華思想、日本の中華料理といって、まったくおかしくない。料理から思想にいたるまで、文化・文明とはそういうものであって、一種の普遍性を有している。
「中華」「中国」という名辞・名称
それに対して「中国」は、あくまで中国。日本人にとっての中国は、個別の固有名詞ではないだろうか。あの土地・住民と分かちがたい。
昔その印象はよかった。好感度80パーセント。ところが最近は悪い。嫌悪が80パーセントにのぼろうか。「中華」が今も昔もごちそうなのとは、やはりかなり異なる。また中国が嫌いだから中華街に行かない、という人も聞いたことがない。相い似た字面の「中華」と「中国」は、いまや対極に位置する相反関係ともいえそうである。
しかし以上は、あくまで日本漢語・現代日本人の用法にすぎない。それが誤っていると咎めるつもりはないけれど、正しいと思ってもらっても困る。
嫌中感情・中国異質論・中国脅威論がはびこるなか、中華料理に舌鼓。そんな日本人の既成概念・固定観念がすべてではない。
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