無名の日本人映画監督が世界進出をかなえた秘訣 100以上の海外映画祭に出品、「サードドア」発見
本来であれば、映画祭で受賞して次の仕事につなげることが大事な要素になるはずで、海外ではそれが重要視されていますし、機能してもいます。
しかし、日本では、登竜門となる主要な映画祭はいくつかありますが、受賞しても、その後に監督として生計を立てられない人が多いのです。
この現状をなんとかしたいという思いが、『世界で戦うフィルムたち』製作のきっかけでもありました。
背水の陣から世界の映画祭へ
そもそも、私が海外の映画祭に応募しはじめたのも、「日本には自分の作品を面白いと思ってくれる映画祭がない」と感じたからでした。海の向こうなら、もしかしたら気の合う仲間がいるかもしれないと考えました。
『12ヶ月のカイ』完成時は、コロナ禍も重なって、どうやって多くの方に観てもらうか、背水の陣を敷く必要もありました。ケモノ道ではありますが、自分なりのドア=サードドアを探そうとしたのです。
そこで私は、世界各国の映画祭について調べて応募しました。
当時は、コロナ禍でリアルでの映画祭が開催されなくなり、オンラインばかりでした。これをネガティブに捉えた方も多いと思いますが、応募する身としては、渡航費がかからなくなる分、それを応募費に充てられるメリットがありました。
ローカルな映画祭は、渡航費や宿泊費は自分持ちなのです。
結果、まずアメリカのフェニックス映画祭・国際ホラー&SF映画祭にノミネートされました。そしてこの映画祭は現地開催のみで、オンラインがなかったので、渡米することになりました。
渡米前、海外映画祭への挑戦について、先輩の映画監督の方々にアドバイスをもらいに行きました。
そこで、『12ヶ月のカイ』を巡って渡航する一連の物語をドキュメンタリー映画にしてはどうかというアイデアが浮上し、 その製作費として文化庁の助成金を申請したところ認められて、製作が実現したのです。
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