人工透析患者の最後の砦として役割発揮、一方で病棟が被害受け建て替えが必要に-東日本大震災、その時、医療機関は《2》仙台社会保険病院
「可能な限り多くの患者さんを引き受ける」。12日午前9時前の院内ミーティングで私が方針を示したうえで、ラジオを通じて腎疾患の最後の砦である仙台社会保険病院の診療機能が健在であること、また当院が唯一稼働している透析施設であることを知らせました。それを聞いた宮城県内外の医療機関や患者さんから一斉に電話がかかってきました。
できるだけたくさんの患者さんを引き受けるべく、12日土曜日から13日日曜日にかけて、延べ8クール、600人近い患者さんの透析を実施しました。透析機械のメンテナンスに必要な3時間を除き、夜通しで透析を続けました。これにより、14日月曜日には、多少時間の遅れはありましたが、月曜日の朝に予定していた患者さんへの透析治療を予定通り行うことができました。
ちょうどこの日に、約700人の患者を擁する医療法人宏人会が透析を再開。当院および仙台赤十字病院とともに、仙台市周辺の診療体制を再構築できました。ただしこの頃から、三陸地方から患者さんが自力で当院でやってくるようになり、時間をおかずに原子力発電所の事故が起きた福島県からも一部患者さんが訪れました。
■腎センターの受け付け
--震災後の過酷な状況下で、健康状態を悪化させる患者さんも少なくなかったのでは。
田熊 現在当院には従来から外来診療で通院していた約120名に加えて、医療機関が被災したために帰る場所のない方や家が被災した方も30数名が通院し透析療法を受けています。さらに他院で透析している患者さんの中から毎日10名前後の方が、震災後体調を崩して当院へ緊急搬送されそのまま入院となっています。
このことは震災後、2週間の生活がいかに過酷だったかを物語っています。それだけに、透析関連の各種合併症治療とともに、透析条件の再設定や投薬内容の調整、食事内容の改善などを通じて、腎臓臓病患者さんの体調を元に戻すのが現在の私たちの役目です。