高度成長期、日本は海外から資源を運び、日本で製造した。それまで日本国内の石炭に依存していたものを、海外で産出する原油に転換した。この転換は、もちろん摩擦なしに実現したものではない。その象徴が、60年代の三井三池炭鉱における激しい労働争議だ。
しかし、それによって高度成長が実現した。日本は海に囲まれた国なので、国内の資源を使うより、海外の資源を輸入するほうが効率的なのである。アメリカより効率的に生産ができた大きな理由はここにある。内陸部の石炭や鉄鉱石をアメリカ国内の工業地帯に陸路で運ぶより、日本に運ぶほうがコストが安かったのだ。「日本に鉱物資源がないこと」が、日本の製造業の発展に寄与したのである。「日本は天然資源に恵まれないから不利だ」と考えている人が多いのだが、まったく逆なのだ。
同じことは、製造業が生産した製品についても言える。タイやベトナムやインドで作ったものを海路で日本に運ぶことは、国内生産に比べて格別コストを高めるわけではない。むしろ、さまざまな点でコストは低下する。
これまでもそうした転換が必要だった。いまは、その転換を加速化するチャンスである。今回の大災害が1000年に1度のものならば、それによって日本の産業構造が一変したとしても、当然のことだ。その変化を促進するのは、電力価格の上昇(原油価格の上昇は世界的な現象だが、電力価格の上昇は日本に特有の問題だ)と円高だ。これらを阻止してはならない。阻止すればきしみが大きくなる。結局はそうならざるをえないのだから、この変化を先取りした企業が勝者になる。
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)
(週刊東洋経済2011年4月9日号)
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