そんな飽くなき学歴探求活動も、ついに一応の区切りが見えます。
「12浪のときに、ついに早稲田の3年次から通える学士編入試験に合格したのです。ようやく自分のコンプレックスとおさらばできると思い、『早稲田に通いたいので2年間だけ休ませてください』と会社にお願いしました。でも結局、却下されて立ち消えになってしまいました。まぁ会社からすれば当然のことなんですけどね……」
早稲田に受かったのに、通えないという彼のもどかしさ。この時期、すでに結婚をしていた彼は、ここからの数年を「学歴探求活動がいちばん停滞した時期」として挙げます。
それでも、人生の一部であった飽くなき挑戦は続きます。もともと数字やデータが大好きだった彼は、長年受験勉強を続けるうちに大学受験が立派な趣味となっていたのです。
30代のころにはある大学院にいったん進学するも、受験への情熱は冷めず、毎年のように東京大学法学部の編入学試験、北海道大学の編入学試験、名古屋大学の編入学試験、京都大学の編入学試験を受け続けました。
大学のデータや実績を集めるあまり、高卒であったえぐざまさんの妻も一緒に勉強をはじめたそうです。えぐざまさんが蓄積した入試の知識などを駆使して、試験に通る方法を教えた結果、妻を7浪で明治大学合格に導きました。
”学歴熱”が最高潮に達したきっかけ
そんな数年を送った彼は、22浪目となる40歳を迎えるころ、とある番組を見て再び学歴熱が最高潮に達します。堀江貴文さんが東大を再受験するAbemaTVの番組『ドラゴン堀江』でした。
「東大にかつて合格した堀江さんや、センター試験で東大足切りライン(8割程度)を通るくらいレベルが高い人たちを集めた受験番組は今までありませんでした。その番組を見ていたら人生を懸けて受験に臨む人たちの臨場感が肌で感じられて、すごくゾクゾクとしたんです。それがきっかけで、忘れかけていた受験への気持ちが蘇ってきたんですよね。
今は少子化で受験人口が減っているからチャンスだし、奥さんも大学を出て働いていたから家計に余裕も出ていました。彼女も『あなたが学歴コンプレックスを持ってるのはわかるし、もし受かったら仕事を辞めて大学に行っていいよ』と言ってくれたんです。機は熟したかなと思いました」
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