これにて長崎県の鉄道はすべてである。島が多い県だから、というだけではないだろうが、鉄道路線の数はほかの都道府県と比べればやや少ない。が、開業間もない西九州新幹線にはじまって、有明海を望める旧大動脈の長崎本線、大村湾を望める大村線、第三セクターの松浦鉄道に明治以来の私鉄の島原鉄道、そして長崎市内の路面電車まで、実にバリエーションに富んでいる。
島が多い、つまり海が多いというわけで、ほぼすべての路線で車窓から海が楽しめるのも長崎県ならではといっていい。その海のほとんどは内海で海面は実に穏やかだ。
大村湾に沈む夕日もいいし、有明海から昇る朝日も悪くない。わが国の鉄道のあらゆる面を、お手軽に楽しめる長崎県の鉄道の旅。これほどに、コンパクトに魅力が詰まったところもないのではないかと思っている。
長崎は「鉄道発祥の地」
そして最後に、長崎県の鉄道といったら忘れてはいけないものがある。長崎駅前から路面電車に乗って、メディカルセンター電停で降りてみよう。目の前には長崎みなとメディカルセンターという大きな病院が建っているのだが、その敷地の一角、国道499号に面したところに記念碑が建つ。「鉄道発祥の地」――。そう、長崎は日本における鉄道発祥の地なのである。
長崎で日本初の鉄道が走ったのは新橋―横浜間の開業に先立つこと7年前、1865年のことだ。イギリス人貿易商のトーマス・グラバーが、上海に輸出予定だった蒸気機関車と客車を長崎の大浦海岸に敷設して走らせたのだという。それがいまのメディカルセンター前、というわけだ。
蒸気機関車の名は「アイアン・デューク号」。実際に長崎の町の人を乗せたこともあったという。東京に蒸気機関車がやってきたときには町の人はたいそう驚いたというが、異国文化に慣れ親しんでいた長崎の人は、あんがいすんなりと受け入れたのかもしれない。
さらにさかのぼれば、1853年にはロシア海軍のプチャーチンが長崎に来港している。
このとき、艦艇の上で蒸気機関車の模型を走らせ、幕府の使者や佐賀藩士に披露している。このときの見聞を基に、佐賀藩は“初の国産蒸気機関車”の製造を実現させた。そういった意味でも、長崎はわが国における鉄道発祥の地と断言して、まったく差し支えないのである。
さまざまなタイプの鉄道があって、その上に170年の日本鉄道史のスタート地点にもなった長崎県。鉄道に少しでも興味があるならば、これは足を運ばずにはいられない。
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