新幹線開業の恩恵あった?長崎県ご当地鉄道事情 日本鉄道史に深い縁、歴史あるローカル線も

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1976年に長崎本線が電化されてから登場した特急「かもめ」は、まさしく長崎本線の看板列車として走り続けた。2005年に廃止された東京からのブルートレイン「さくら」も、長崎を駆けた名列車。長崎本線は、長崎どころか九州、そして日本を代表する大動脈路線の1つであった。

ただし、1897年に長崎本線が開通した当時のルートは、いまとはまったく違っていた。当時の長崎本線のルートは、現在でいうなら佐世保線・大村線の道筋。すなわち、武雄市や佐世保市、そして大村湾沿いを経由するルートをたどっていた。

有明海沿いを走る現在のルートが完成したのは九州鉄道国有化後の1934年のこと。海沿いまで多良岳の裾野が広がり、市街地の少なかった有明海沿いよりも、佐世保や大村といった都市が並び、旧長崎街道の道筋にも近い大村線ルートが優先的に建設されたということなのだろう。

歴史ある私鉄の島原鉄道

というわけで、いまの長崎本線は有明海沿いをゆく。肥前大浦―小長井間で佐賀県との県境を跨ぎ、諫早湾を挟んで雲仙岳を望みながら諫早を目指す。

諫早駅から東に分かれているのは私鉄の島原鉄道だ。1911年に本諫早―愛野間が開業したのに始まる。当時、鉄道院から譲り受けた新橋―横浜間の鉄道開業時の「1号機関車」も活躍した。

島原鉄道は、島原半島の海岸沿いをぐるりと半周する。途中の古部駅や大三東駅などは、海が間近に見える駅としてよく知られるようになった。

現在の終点は島原港駅だが、2008年まではさらに線路を延ばして加津佐駅までを結んでいた。1990年代前半の雲仙普賢岳噴火の影響で運休し、以後利用者数の減少が顕著になって廃止に追い込まれてしまった。“南目線”と称された末端区間は沿線に市街地も少なく、雲仙岳と島原湾が望めるなかなか風光明媚なローカル線だったという。

島原鉄道
諫早湾を横目に走る島原鉄道。明治時代から社名を変えずに存続している私鉄だ(撮影:鼠入昌史)

諫早に戻って長崎本線の旅を続けよう。諫早駅を出てからほどなく、喜々津駅で長崎本線は二手に分かれる。1つは1972年に開通した“市布ルート”。山間部をトンネルで抜ける短絡線で、開業当初から主要な優等列車などはこちらを通るしつらえになっていた。

もう1つは、1897年の開業当初からのいわゆる“長与線”。こちらはずっと非電化のままで、大村湾を望むのどかなローカル線といった趣が強い。あの長崎出身の歌手・福山雅治の「蜜柑色の夏休み」は、この長与線の風景を歌っている。

長崎本線の“長与ルート”
長崎本線の“長与ルート”。こちらも大村湾を見ながら走るローカル線だ(撮影:鼠入昌史)
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