東急の五島慶太が計画した「札幌急行鉄道」の全貌 公設民営制度が進化、「構想復活」の可能性は?

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1964年、江別駅構内で入れ替え作業を行う北海道電力江別火力発電所専用鉄道の石炭列車(写真:江別市郷土資料館)

北海道江別市は、札幌駅から岩見沢方面へ普通列車で25分あまりの距離に位置する人口約12万人を擁する札幌市のベッドタウンだ。江別駅では約半数の普通列車が札幌方面へと折り返す。東京急行電鉄(現在の東急)は1950年代後半、この江別市と札幌市を結ぶ札幌急行鉄道の建設を計画。当時の夕張鉄道線や定山渓鉄道線とも接続し、札幌都市圏に一大私鉄ネットワークを構築する構想を抱いていた。

札幌急行鉄道計画は、北海道議会議員で江別商工会議所会頭の大久保和男氏が、1956年、商工会議所内に「札幌急行鉄道調査促進委員会」を設置し、東急の五島慶太会長に話を持ちかけたことに端を発する。江別市郷土資料館には、この大久保氏が札幌急行鉄道について綴った手記が残されていたことから現地を取材した。

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工費10億円の札幌急行鉄道計画

北海道江別市は、明治維新後の1878年、石狩川に隣接した広大な原生林が繁る地に屯田兵が入植したことで本格的な街の建設が開始された。1882年には官営幌内鉄道(後の国鉄)札幌―幌内間の延伸と同時に江別駅が開業し、1889年には野幌駅も開業した。

1955年、上江別駅付近を走行する夕張鉄道の旅客列車(写真:江別市郷土資料館)

江別駅には、1909年に富士製紙第五工場(後に北日本製紙を経て王子製紙江別工場)を結ぶ専用鉄道が接続、1935年には江別火力発電所を結ぶ専用鉄道も接続された。野幌駅でも、1930年に夕張本町駅との53.2kmを結ぶ夕張鉄道線が全線開業し、戦後の1964年には北海鋼機の工場操業に伴いその専用鉄道も夕張鉄道線を介して野幌駅に接続され、市内の鉄道網は発展をみせる。

江別商工会議所内に「札幌急行鉄道調査促進委員会」が設置された当時の江別市の人口は約3万5000人。市内には舗装道路もなく上下水道も公民館も整備ができていない状況ではあったが、大久保氏は江別市の将来的な発展を見据えて、人口が50万人に迫っていた札幌市を結ぶ私鉄路線の建設を目指したという背景があった。

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