東急の五島慶太が計画した「札幌急行鉄道」の全貌 公設民営制度が進化、「構想復活」の可能性は?

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札幌急行鉄道は、当初から夕張鉄道線の上江別駅に接続し夕張本町駅までの直通運転を行うことも想定された。当時の夕張市は、人口が10万人を超え国内屈指の産炭地として大きく栄え、江別市と札幌市の厚別・白石地区の住民に加え、夕張鉄道線沿線の幌向村(現南幌町)、長沼町、栗山町、夕張市の人口24万人の利用も見込まれ、札幌市と直結されることで沿線の発展も期待された。

こうしたことから委員会では、1957年の年明け早々から関係する自治体のほか、夕張鉄道や札幌の丸井今井デパートなどを巡り構想の説明と協力要請を実施。関係者から全面的な賛同を得ることができ、古田島薫平江別市長からも幅約12mの軌道敷地の寄付の約束も取り付けた。工費は約10億円(1km当たり4000万円)が見込まれ、融資面では開発公庫の協力を取り付けることにも成功している。

東急の五島慶太氏を口説き落とせ

地元関係者を中心に着々と準備が進められていく中で大久保氏は、事業者の選定と依頼に向けて「中央の大物でなければならない」と、東急の五島慶太会長と西武鉄道の堤康次郎社長を候補に接触を考え始める。当時の両社は、伊豆と箱根の観光開発を巡って激しく対立していた。大久保氏は「一方に話してダメだったから、もう一方にという訳には絶対にいかない」と、伊豆半島東部で伊豆急行線の建設を決めるなど伊豆への事業展開が優勢であった東急の五島会長に依頼することに決意を固めた。

『えべつ昭和史』に残された札幌急行鉄道路線図(資料:江別市郷土資料館)

その後、大久保氏は五島会長を口説き落とすための作戦に没頭。五島会長を取り巻く人脈を徹底的に調べ上げ、五島会長の信頼のおける人物から札幌急行鉄道構想の打診をしてもらうことで、1957年6月、北海道への来訪を実現させた。五島会長は講演の席で北海道の経済人を前に「札幌―江別間の新鉄道建設」を表明。札幌急行鉄道計画は具体的に動き出すことになる。

計画区間は札幌―上江別間の20.5km。起点となる札幌急行鉄道の札幌駅は、国鉄札幌駅から南に約1km離れた札幌都心部の大通西4丁目、丸井今井デパート付近に地下駅として設置。地上区間へと出た後、豊平川に沿う直線的なルートで江別市へ。国鉄江別駅を経由し、夕張鉄道上江別駅に至るルートが考えられた。札幌―江別間の所要時間については、当時の国鉄が38分だったのに対して札幌急行鉄道では17分の予定で、東急グループのノウハウを用いた沿線開発も期待された。

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