しかし、2年も経たないうちに、夫がロンドンに赴任することになった。海外への渡航が自由ではなかった時代、妻の同伴は認められず、夫は単身赴任することになる。
夫の後を追うことを決意した米沢は、自分が留学すればいいのだと思いつき、イギリスにある30の大学に手紙を書いて「あなたの大学で勉強したいので奨学金を下さい」と直談判。その結果、キール大学から授業料と寮費と食費を免除という条件を提示され、晴れて夫とともにロンドンに渡ることができた。
「私、もしかして取り柄があるとしたら行動力ですね」
イギリスでは最先端の論文を読み漁り、帰国後、27歳で長女を出産。その半年後、京都大学基礎物理学研究所(基研)の助手になる。人事の決定の際は「子持ち女に務まるか」という声も上がったという。「理論物理学の聖地」と呼ばれた基研の女性研究者は米沢が初である。米沢は東京に勤務する夫を残し、0歳の娘を連れて単身で赴任した。
翌年、夫が大阪勤務を申し出て転勤してきたことで、一緒に暮らすことができた。米沢は育児と家事をこなしながら、最先端の物理を研究し続けた。
「朝、もうすごいですよ。保育園で使うおむつとか抱えて、自分の論文抱えて、子どもたちの手を引いておんぶしたりして保育園に行くんです。5時になったら迎えに行って、帰ってきて、ビャーッとお料理して、やっと食べさせて、パッとお風呂に入れて、パッと寝させて。それからまた勉強して(笑)」
家事と育児を手伝わない夫から衝撃の一言
夫は家事と育児を一切手伝わなかった。夫と争うのはエネルギーの無駄と割り切り、米沢は1人で全部をやろうと奮闘するも、次女を妊娠するとつわりで動けなくなってしまう。すると夫から衝撃の一言が浴びせられた。
「何も手伝ってくれないうえに、『君が勉強している姿、このごろ見なくなった。怠けているんじゃないか、研究をちゃんとしないとダメじゃないか』と言ってくれて。そのときはけっこうこっちもカッとなって切れそうになったんだけど」
「それなら手伝ってください」と言いたかったが、「一番痛いところを突かれた」という思いもあった。奮起した米沢は研究を再開する。その日以来、つわりはピタッと収まったという。
1日4時間睡眠で机に向かっていたある日、ずっと取り組んでいた研究の新しいアイデアが突如ひらめく。それが世界的に評価されることになる物理学の新理論「コヒーレント・ポテンシャル近似」である。