病室で意識が戻らなくなった夫の耳に口を寄せて感謝を告げると、それまでまったく呼びかけに応えなかった夫が手を伸ばして抱き寄せてくれた。口移しで夫の口に水を浸しているときに息を引き取った。
「ものすごく嬉しかったですね。夫がまもなく(息を引き取る)という状況にありながら、夫に近いところにいるという感じがして。その話をするたびに、十数年経っているんですけど、私は涙が出ちゃうんです。(中略)奇跡が起こったような別れがあったので、なおのこと、あと1年間ぐらいは何も考えられなかったです」
「自分の可能性に限界を引かない」が口癖
このころ、米沢は日本物理学会の会長に就任するのと同時に、総勢200人の研究者に7億円の予算が組まれた科学研究費助成事業のリーダーを任されていた。
失意の1年を過ぎてからは猛烈に研究に打ち込み、液体金属に関する新たな理論を打ち立てた。「コヒーレント・ポテンシャル近似」に匹敵する大発見だった。
当初は理解されずに学会で猛反論に遭うが、1年間かけてデータを増やしながら世界中を説明してまわり、1998年の学会では「完璧だ」と賛辞を受けた。
2005年、科学の進歩に貢献した科学者に与えられるロレアル‐ユネスコ女性科学賞を受賞。物理学の魅力を多くの人に伝える活動に尽力し、若い女性の研究者にも光を当てた。
米沢の口癖は「自分の可能性に限界を引かない(The sky is the limit)」だったという。1人の科学者として、妻として、母として、自然界の不思議に挑み、解き明かし続けた80年の生涯だった。
●米沢富美子の至言
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