投資家が企業の「健全性」を評価する際に純利益に着目しないのはそのためだ。彼らは利益率――言い換えれば、その企業の利益が毎年どれだけ成長するか――に着目する。資本家の観点に立てば、利益に意味はない。肝心なのは成長率なのだ。
投資家は少しでも成長の匂いのするものを求めて、貪欲に世界中を探し回る。もしフェイスブックの成長が鈍化する兆しが見えたら、彼らはその資金をエクソンモービルやタバコ会社や学生ローン等々の成長企業に移すだろう。
この容赦ない資本の動きは企業にとって強力なプレッシャーになり、企業は成長するためにできることを何でもするようになる。
フェイスブックで言えば、より攻撃的な宣伝、より依存性の高いアルゴリズムの作成、悪徳業者へのユーザー情報の売却、プライバシーの侵害、組織的な政治的偏向、さらには民主主義への攻撃といったことだ。
なぜなら、成長できなければ投資家は手を引き、会社は潰れるからだ。成長か死か。他に選択肢はない。この拡大の動きは、他の企業にもプレッシャーをかける。
突然、誰もが安定したやり方に満足できなくなる。拡大の方向に進まなければ、競合他社に飲み込まれる。成長という鉄則に誰もが心を奪われているのだ。
「複利」という危険な罠
しかし、なぜ投資家は飽くことなく成長を追い求めるのだろう。それは、資本は動かさなければ、インフレや市場の変化などのせいで価値が下がるからだ。
そのため、資本家のもとに集まった資本は、成長への強力なプレッシャーになる。資本が蓄積すればするほどプレッシャーは増していく。資本は次の「解決策」を求める。
これが問題になるのは、成長には複利的性質があるからだ。世界経済は通常、1年で約3%成長している。経済学者に言わせれば、これは大半の資本家に利益を保証するために必要な成長率だ。
3%は大して多くないように思えるが、それは、わたしたちが成長を直線的な成長と考えがちだからだ。資本再投資の土台となっている複利的成長は、わたしたちが気づかないうちに、油断のならないやり方で忍び寄ってくる。
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