WBC栗山監督「挫折の多い人生」支えた言葉の正体 WBCで侍ジャパンを率いた栗山監督の"哲学"

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監督としてグラウンドに戻ってからも、挫折の繰り返しです。パ・リーグ優勝や日本一も経験しましたが、山頂にはほど遠い感じです。

いまもなお、懸命にハードルを飛び越えようとして、足が引っ掛かって倒れたりしています。

膝についた泥をはらいながら、私は安岡正篤さんの「一燈照隅」の4文字を心のなかで唱えます。「大きなことを口にするよりもまず、自分がいるその場所を明るく照らす」という意味で、自分自身に落とし込むと「一生懸命にやったことが誰かのためになり、それを一度ではなく二度、三度と続けていく。一人ひとりがそれぞれの役割を果たすということが、生きざまとして素敵なのだ」ということになります。

「勝ち切れる環境を作るのが私の仕事」

安岡さんはこうも言います。

「環境が人を作るということにとらわれてしまえば、人は単なるもの、単なる機械になってしまう。環境に左右されてはいけない」

栗山ノート
『栗山ノート』(光文社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

人間が環境に左右されてたまるか、人間が環境を作ってやる、というメッセージとして受け止めています。

ファイターズは戦力補強にたくさんのお金を投資するチームではありません。それでも勝ち切れる環境を作るのが私の仕事です。

知恵を絞って、工夫を凝らす。移動距離が長い、日程がキツい、などといったことも理由にしないで、自分たちで勝てる環境を作る。負けたときの理由を、あらかじめ用意したくない。「優勝したチームとは環境が違うから」と、言い訳をしたくない。やってやるぞ、と自分を奮い立たせています。

栗山 英樹 北海道日本ハムファイターズCBO

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くりやま ひでき / Hideki Kuriyama

1961年、東京都生まれ。東京学芸大学を経て、1984年に内野手としてヤクルト・スワローズに入団。1989年にはゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍したが、1990年に怪我や病気が重なり引退。引退後は野球解説者、スポーツジャーナリストに転身した。2011年11月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任。翌年、監督1年目でパ・リーグ制覇。2016年には2度目のリーグ制覇、そして日本一に導いた。2021年まで監督を10年務めた後、2022年から日本代表監督に就任。2023年3月のWBCでは、決勝で米国を破り世界一に輝いた。2024年から、ファイターズ最高責任者であるチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)を務める。

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