巨匠パク・チャヌク「別れる決心」で深化した真相 ミステリアスな愛の在り様を描いた「大人の映画」
樋口毅宏(以下、樋口):作家の樋口毅宏と言います。色々な小説を書いています。今日はよろしくお願いします。
パク・チャヌク(以下、パク):よろしくお願いします。作家さんなのですね。小説は韓国でも出版されたものがありますか?
樋口:いえ。残念ながら。ただ、私は以前、韓流映画の専門誌の編集もやっていて、韓国映画が大好きです。パク監督の作品もこれまでにたくさん観てきました。
パク:それはありがとうございます。
樋口:『別れる決心』も、ひと足お先に拝見しました。とても素晴らしいと思いました。
パク:良かった。気に入っていただいてうれしいです。
樋口:オープニングから驚きました。登山中の夫が足を滑らせて亡くなってしまい、妻である主人公のソレが疑われるというシチュエーションは、増村保造監督の映画『妻は告白する』と同じだなと。これは増村保造へのオマージュではないかと勝手に思いました。
パク:そうですね。確かに私は、増村監督のことを尊敬しているし、あの映画も好きです。でも今回の設定は、実は共同作家の方が持ってきたもので、私にそのような意図はなかったのです。彼女のアイデアを聞いて面白いと思い、『妻は告白する』に似ていると言われないかと心配はしたのですが、結局、受け入れることにしたのです。
円熟という単純な言葉では言い表せない世界
樋口:そうだったんですね。それにしても、『別れる決心』は、きっと30代のパク監督だったら撮れなかったのではないかと思うのです。円熟という単純な言葉では言い表せない世界を獲得していますが、今作は監督にとっての深化と捉えて間違いないですよね。
パク:それが正しい指摘であることを期待します(笑)。私は若い頃、世の中に対して怒りや憤りを持っていて、それらの感情に強い関心がありました。映画の表現方法は極端で過激、それは単に暴力やセックスのことだけではなく、それらをすべて含めた過激な表現の方法論を押し進めていたと思います。 一方、今作はより基本に忠実に映画を作りました。だからといって、私自身が新しいチャプターに入って、今後こういう映画だけをやっていくという意味ではないですが。
樋口:それはとても興味深いです。巨匠への階段を上っていこうとすると、 どうしても退屈になってしまう映画監督が多い中、パク監督は忠実にと言いながらも、常にチャレンジを忘れないでいる。どうしてそれができるのでしょう?
パク:私自身は音楽を聞いたり、本を読んだりすること以外にこれといった趣味もなく、非常に平凡で退屈な日常を送っているんです。それが映画作りの中でも繰り返されたら、耐えられないぐらい退屈でしょう(笑)。だから、色々試したいという思いがあるのです。