廃止20年でも人気、「レールバス」保存活動の軌跡 鉄道ファンの熱意が地元関係者を動かした

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その後、収益力の強化を図るために自治体からの清掃業務や給食センターの受託事業のほかタクシー事業にも進出。こうして生み出された利益により鉄道事業を維持していくこととなる。

当時、東北新幹線の新青森延伸時に計画されていた七戸町内の新駅設置(現七戸十和田駅)についてアクセス鉄道の整備が条件だったことが鉄道線存続の背景だった。新幹線新駅開業の際は、従来の七戸駅を廃止し新幹線と隣接する営農大学校前駅付近から新駅へ乗り入れる構想だった。

鉄道貨物については、1970年代に入り一時的に農産物や肥料の貨物輸送が伸び増収が図れたことから開業当時から使用していた45t級ディーゼル機関車に加え、25t級の中古ディーゼル機関車を羽後交通より取得し輸送力の増強を図った時期もあった。しかし、1984年に実施された国鉄貨物取扱駅の大量廃止により野辺地駅で国鉄線への貨車の引き渡しができなくなったことから南部縦貫鉄道でも貨物輸送を廃止せざるを得なくなる。約60%の運賃収入を失うことになったが、同年、会社更生法による更生計画を終了した。

さまざまな経営努力により運行を維持してきた南部縦貫鉄道線ではあったが、1995年に国有地である旧東北本線の路盤を借用して運行していた野辺地―西千曳間5.6kmについて、国鉄債務返済のための国鉄遊休地の売却処分期限が1997年に迫っていた国鉄清算事業団から約5100万円での買い取りを要請されたことで事態が一変。南部縦貫鉄道は、この土地買い取りのための資金を捻出できなかったほか、東北新幹線の延伸計画についても1988年に七戸を経由しないミニ新幹線方式でいったんは決定していたことなどから、全線の廃止を決定することになった。当時は1日の運賃収入が約5万円に対して経費が10万円ほどかかっていたという。

ファンの熱意が関係者を動かした

南部縦貫鉄道線の廃止が発表されると、現役で運行されていたマニュアル変速機のレールバスが注目され全国各地から鉄道ファンが殺到。七戸駅前で当時営業していたジャスコ七戸店では「さよならレールバス写真展」も開催され、全国の539人から1007点の作品応募があるなど大きな盛り上がりを見せた。

南部縦貫レールバス愛好会の星野さんもこの写真展に応募した1人で、「南部縦貫鉄道の不思議な魅力にはまり東京から年に何度も通っていた」と話す。このとき黎明期のインターネット掲示板で仲間を募り「レールバスの保存活動をしたいので盛田駿造専務と面会がしたい」と写真作品に手紙を添付したことが南部縦貫鉄道関係者との縁を結んだ。

南部縦貫鉄道は、こうした盛り上がりを受けて廃止の方針を一転。1997年5月5日限りでいったん休止として鉄道線の再開の可能性を模索することを決めた。

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