廃止20年でも人気、「レールバス」保存活動の軌跡 鉄道ファンの熱意が地元関係者を動かした
星野さんと盛田専務の面会が実現したのは、同年10月に行われた鉄道の日の車両展示イベントだった。当初は盛田専務からよい返事をもらえず、たまたま本社の机の上に置かれていた鉄道線の復旧にかかる費用見積りや車両や施設の解体、金属業者の買い取り見積りを目にしたことで、星野さんは「いつ廃止されてもおかしくない」という危機感を強める。
東京から毎月のように七戸に通い盛田専務に必死の説得活動を続けるうちに「連休中や夏休み中などにレールバスを車庫から出してくれたり車内の清掃をさせてくれたりと愛好会としての形が徐々に出来上がってきた」という。そして、鉄道維持のコストを熟知していた盛田専務から「君たちに多額の負担を負わせられないという思いがあった」と当初、保存活動に消極的だった理由も明かされた。
その後、東北新幹線の延伸計画については1998年1月に新青森駅までフル規格方式による建設に再度変更となり、同年6月には国鉄清算事業団から買い取りを要求されていた野辺地―西千曳間5.6kmの路盤についても、沿線自治体の調停の末、約450万円で買い取りが行われたが、休止中に荒廃した鉄道施設の復旧が数億円にものぼると見積もられたことから、鉄道路線としての復活を断念し、南部縦貫鉄道線は2002年に廃止された。
立ち上がった南部縦貫レールバス愛好会
名前のなかった星野さんらの愛好会は、2002年7月に南部縦貫鉄道主催で廃止イベントが開催された際に、盛田専務よりイベント共催団体として「南部縦貫レールバス愛好会」という名前を与えられ本格的な活動を開始した。2010年に迫った東北新幹線の七戸十和田駅開業を見据えて「もう一度七戸町のためにレールバスが役に立つ日が来るかもしれない」と2両のレールバスのほか、国鉄譲渡車のキハ10形気動車やディーゼル機関車など廃止時に在籍していた6両すべての車両が託された。
2004年5月の大型連休からは定期的な体験乗車会も始まり3日間で延べ2000人が乗車しテレビ局や新聞社の取材も訪れた。特に2009年の大型連休は1時間待ちになるほど空前の賑わいをみせたという。当初の保存活動は、体験乗車会でのイベント売上や愛好会が製作する南部縦貫鉄道グッズの販売収入に加え、不足分は愛好会メンバーの手弁当により賄われてきた。
その後、2012年4月に南部縦貫レールバス愛好会は、それまでの任意団体から一般社団法人の法人格を取得し体制を一新。レールバスの保存活動が七戸町の事業となり南部縦貫鉄道の車両群は町有化された。愛好会は、七戸町より年間約70万円の予算で車両の管理業務を受託し、イベントやグッズなどによる収益を合わせて、総額200万円弱の活動資金で車両や線路の維持管理を行う体制となった。グッズは、週末に旧七戸駅で販売されるレールバスデザインタオルが人気で七戸町のふるさと納税返礼品にも採用された。
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