「幸福な人」と「不幸な人」を分けるのは何なのか 幸福になることよりも「不幸」に気をつけよ
最も厳密な意味での幸福は、強くせき止められていた欲求が急に満足させられるときに生まれるものであり、本来挿話的な現象としてしか現われないものである。快感原則が望んでいた状況も長続きすると、気の抜けた快適さをもたらすにすぎないのである。私たちは、激しい対照(コントラスト)だけに快感を覚えるものであり、快を覚える状況はごくわずかのあいだしか享受できないものなのである。
このように、人間が幸福になる可能性というものは、私たちの心的な構成のために制約をうけているのだ。ところが、不幸を経験するのは、はるかにたやすいことなのである(『文化への不満』)。
「幸福」よりも「不幸の回避」
フロイトの考えによれば、私たちにとって「幸福」は一瞬だけしか訪れず、むしろ不幸になるほうがたやすいようです。とすれば、私たちが求めるべきは、「幸福」よりも「不幸の回避」かもしれません。
しかし、こう考えると、人生が味気なくなってしまいそうです。破滅だとわかっていても、一瞬に賭ける人が少なくないのは、そのためかもしれません。
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