「幸福な人」と「不幸な人」を分けるのは何なのか 幸福になることよりも「不幸」に気をつけよ
この思考実験は、アメリカの哲学者ロバート・ノージックが『アナーキー・国家・ユートピア』で示したものを少しアレンジしたのです。そのときノージックは、「自分はそれを使用したくないことを悟る」だろうと述べているのですが、はたしてどうでしょうか。
この想定はむしろ、最近のテクノロジーの発展を見ると、あらためて検討すべきかもしれません。リアルな世界ではなく、ヴァーチャルな世界で幸福感が得られるなら、それもまた幸福と呼べないでしょうか。
ドン・ファンは幸福なのか?
今度は、リアルな世界での幸福について考えてみましょう。
その典型的な人物として、「ドン・ファン」を取り上げてみます。ご存じのように、ドン・ファンというのは、17世紀のスペインで伝説となった人物ですが、実在するわけではなく、フィクションによって魅力的に描かれてきた放蕩者です。歴史的には、18世紀のカサノヴァが思い浮かぶかもしれません。
カサノヴァは華麗な女性遍歴が有名で、生涯に1000人の女性とベッドを共にしたといわれています。また、男性との関係もあったようで、彼の性関係は異性にのみ限定されていたわけではないようです。
こうした事実を聞くと、憧れをもつ人も少なくないのではないでしょうか。週刊誌でも、「○○のドン・ファン」といえば、読者ランキングの高い記事になりそうです。
このドン・ファンにとって、幸福とは何でしょうか。愛の対象を次々変えていくのが、ドン・ファンの生き方です。ドン・ファンはいつも新たな対象(獲物)と出会い、その人を「ものにしよう」と情熱的に働きかけます。そのため、自分が狙った獲物が手に入ると、幸福な気分に浸ることができるはずです。しかし、幸福なのはそこまでなのです。
ひとたび相手を「もの」にすれば、その幸福はたちどころに消えてしまいます。相手と永続的な関係をもつのは、不幸なことです。そのためドン・ファンは、新たな獲物を求めるのです。とはいえ、これもまた同じことになるのは、明らかでしょう。
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