高浜:ほかに得意なことがなくて、飲み屋でバイトしたことぐらいしかなかったんです。だから、私が漫画を描けるということを見つけてくれた人に感謝ですよね。
塩野:スカウトマンの存在は大切ですよね。すごく恥ずかしいのですが、私も編集者と飲んでいたとき、「小説書いてみなよ」って言われたのが本を出したきっかけですよ。
高浜:じゃあ、同じですね。
『四谷区花園町』はうなぎ屋でアルバイトをしながら
塩野:世の中、本を一生懸命書いているという人もたくさんいらっしゃるので、申し訳なくてあんまり言えないんです。話は変わりますが、最新作の『蝶のみちゆき』と前作『四谷区花園町』って、掲載期間は近いのに、かなり絵の感じが違いますね。
高浜:ペンで描いた作品と、デジタルで描いた作品の違いが出ていますね。デジタルだと、遠近感を正確に表現するためのパース定規が使えますので、背景を描くのが比較的簡単なんです。『四谷区花園町』のときは、実は、熊本にあるうなぎ屋さんでアルバイトをしながらだったものですから、時間を短縮するためにデジタルで描いているんですね。
これより前の作品は、全部書き下ろしなんですよ。実家に住んでいるときや、結婚していたときに描いていたので、時間の制約があまりなく好きな画材で好きなように描いていたというのはありますね。でも『蝶のみちゆき』では、途中、余裕が出てきたので、鉛筆に戻している部分もあるんですよ。
塩野:なるほど。やっぱりこのほうがいいですね。『蝶のみちゆき』は、蝶というより蛾の描き方がいいなと思います。
高浜:ああ、最後のですね。ほかの仕事をしていなかったから、少し時間のゆとりがあって、鉛筆で描くことができたんです。『四谷区花園町』は、うなぎ屋のせいでちょっとデジタルになってしまったんです。
塩野:うなぎ屋のせい。それ結構、衝撃的な話ですね。ところで、高浜先生のデビューは眼力のある方が身近にいて、というケースでした。今はpixiv(ピクシブ)という投稿サイトのように、インターネットのおかげで、作品をアップすればいくらでも見てもらえますよね。上手な人も掃いて捨てるほどいて、ある意味、自分のレベルがわかってしまう。「自分、すごいんじゃないか」みたいな勘違いができないところがありますね。
高浜:確かに、そういう問題を感じている人は多いかもしれないですね。ちょっと似た話なんですけど、デビュー後1作目の駆け出しの時に、いきなりフランスからいくつか仕事が来たんです。その時に、「すごい人たちがたくさんいる中で、自分はこの程度でいいのか」と感じたんです。でもその時、すごく励まされたのですが、フランスの漫画家の中でもひとりだけ最初は下手だった人がいたんです。
塩野:そのことによく気づきましたね。
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