社会的孤立の状態は、高齢者だけでなく、青年・壮年の世代でも精神的健康に悪影響を及ぼすことがわかっている(“Influence of "Face-to-Face Contact" and "Non-Face-to-Face Contact" on the Subsequent Decline in Self-Rated Health and Mental Health Status of Young, Middle-Aged, and Older Japanese Adults: A Two-Year Prospective Study” International Journal of Environmental Research and Public Health)。
ただ、これを公共政策でどうにかするためには数々の難題と直面せざるをえない。政府は、孤立・孤独対策を本格化させつつあるが、普通に考えて孤独の苦しみを包み隠さず申告する人は多くないだろう。世間では、いまだ孤独感へのスティグマ(負のレッテル)意識が強いからだ。
個人による解決しかないのか
そのため、期待値を下げるだけでなく願望そのものをなくす場合がある。積極的孤独と区別するために、消極的孤独を「望まない孤独」「不本意な孤独」と呼んでいるが、積極的孤独にもおそらくグレーゾーンが広がっている。しかし、自己責任の内面化は、わたしたちに自助しかなく、個人による解決しかないように思わせる。そこには、前述の能力向上のニーズだけではなく、「孤独を感じなくなる方法」「孤独感の克服」といったマニュアルのニーズも現れてくる。問題の心理学的な埋め合わせだ。
すでにわたしたちの社会は、表向きは何も起こっていないかのように見えて、実態としては個々の「関係の質」に著しい高低があるいびつな世界になっている。富の偏在のようなものに近いともいえるが、それが富ほどには意識に上がらない。
人々がいくら「関係のマネジメント」に躍起になったところで、将来的にすべてのリスクを回避することは不可能だ。社会課題として捉えることができなければ、個人の問題としてやり過ごされるからである。わたしたちは、自らも危うい状況を生きているという認識を支えに、当事者としてどう向かい合うかの岐路に立たされている。
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