ABEMAのW杯配信で痛感「テレビ放送の不自由」 国民にとってのインフラとなり公共性を帯びた
欧米ではテレビをネットでも普通に見ることができる。海外ドラマの主人公がニュースをPCで見る、そんなの当たり前のシーンだ。
日本の放送業界ではよく「放送と通信の融合を進めねば」という議論がされるが、欧米ではとっくに「放送も通信もない」のだ。インターネットが普及し始めた2000年代に欧米では議論を重ね「放送と通信は同じもの」として取り扱うことになった。
イギリスの公共放送BBCは2000年代後半にiPlayerを通じて放送番組をリアルタイムでもオンデマンドでも配信するようになった。BBCはその後も「先進的公共放送」として世界をリードし、先日はティム・デイビー会長が今後10年で放送をやめてオンラインのみにすると表明した。
日本のテレビ局はなぜこれほど遅れたのか
日本のテレビ局はやっとリアルタイム配信を始めたばかり。とてもじゃないが追いつけそうにない。なぜこれほど遅れたのか。
実は日本でも2000年代に「放送通信融合」が議論された。2005年に当時の竹中平蔵総務大臣のリードで「通信・放送の在り方に関する懇談会(通称・竹中懇)」が設置されている。翌年には総務省の研究会が通信・放送法制を「情報通信法」として一本化するよう提言した。「放送」「通信」という伝送路別の法制を「作る」「送る」などのレイヤー構造に変える考え方だ。そのまま進めば欧米と同じように放送と通信の区別はなくなっただろう。
ところが議論が進むうちになぜか後戻りしてしまい、「放送と通信の融合」は形にならなかった。ライブドアや楽天の買収騒動でIT企業を嫌悪した放送業界がこの動きを潰したせいだと言う人もいるが真相を私は知らない。
その後、「NHKによる放送のリアルタイム配信」にフォーカスした総務省の有識者会議「放送を巡る諸課題に関する検討会」が2015年から始まった。2020年まで6年間もかけ、紆余曲折ありつつ長々議論し、ようやくNHKプラスが2020年にスタートした。
この会議では、NHKがネットについて先行するのを阻止すべく「民業圧迫」を旗印に民放連と新聞協会がやいのやいの言ってなかなか進まなかった。なぜNHKがネットに力を入れると民業圧迫になるのかいつも明確な説明はないのだが、業界内で反対の強い声が上がると国民のメリットは後回しになってしまう。
リアルタイム配信は民放もやったほうがいいのになぜ反対するのか不思議だった。キー局も反対ムードだったが、ローカル局に特に反対論が強かった。これは迷信に怯える中世の人々のようなもので、理屈ではなく彼らはテレビの視聴率(=収入源)がネットに漏れると損害を被ると信じていたのだ。いまだにそう言う人はいる。
スマホでテレビが見られるようになっても今見ているテレビを消す人はいない。だから視聴率に影響はしないのだが、何しろ迷信を信じている旧時代の頭はまったく考えを変えない。
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